友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

みっともない葉っぱにはなりたくない

2018年06月03日 17時17分03秒 | Weblog

 朝、植木鉢と土を運んだ。途中で花壇の世話をしている人が、「私も土が欲しい」と言うので、1袋あげた。畑で野菜を作っている人も、「鉢は要らないが、土は欲しい」と言うので畑まで運んだ。畑には土がいっぱいあるのに、新しい土は野菜作りにいいようだ。

 私は野菜作りをしたことがないのでよく知らないが、野菜は連作を嫌うそうだ。私が鉢の土を入れ替える時に古い根が残っていないか気になるのも、そんな話を聞いたからだ。これは私の推測だが、植物も自分の子孫を残すことに必死だから、他の植物を寄せ付けないような何かを持っているのだろう。

 植物は何も考えずに育っているようなのに、いろんな法則がある。今はバラの季節なので、毎朝、水やりしながら眺めているが、新しい茎が育とうとしていると、そこに古い葉が邪魔している時がある。するとその葉は茶色くなってやがて落ちていく。童話『葉っぱのフレディ』のとおりだ。次の新しい命のために、役割を終えて去っていく、これが命の繰り返しなのだ。

 今日、若い人に来てもらって夏祭りをどうするか話し合った。市長に手紙を出したので、そんなことはまずないだろうが、「協力金」は集めないとなった時は参加するが、市の方針通りなら不参加と決まった。「気持ちがのらないのにやる必要はない」がみんなの一致した結論である。「それより、どこかでバーベキューでもやりましょう」と言う。遊ぶことが大好きな仲間だからすぐに決まった。

 強力な指導者がいると上から下への一方通行だからやりやすい。今、世界中がそんな強力な指導者を求めている空気がある。自由と平等を求めて始まった近代が、次のステップに向かうためのターニングポイントにあるのだろう。どんなに時間がかかっても、みんなで話し合って決める原則を放棄してはいけない。古い葉は必ず落ちていくのに、時々しがみついて邪魔する葉もある。そんなみっともない葉っぱにはなりたくない。

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