友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

広げていって欲しい

2018年06月14日 18時41分30秒 | Weblog

 「また来るからね」と姉の肩に手を置いて言うと、「もう、来んでいい」と姉は言う。「へそ曲がりなこと言ったらダメだよ」と言い返すと、「フン!」という仕草を返してきた。姪っ子が「会いに行くと嬉しいそうなのに、帰る時はすねる」と言うから、そんな姉なりの表現なのだろう。しかし、かなり弱ってきていることは確かで、別れの時が近づいてきているのかも知れない。

 明日の夜から、仙台の次女と4歳の孫娘が、さらに次女のダンナも出張を組み込んで、我が家にやって来る。バラや夏花の植木鉢を体裁よく並べ、孫娘がルーフバルコニーで遊べるように整えた。土曜日の朝は、ルーフバルコニーで大人たちにコーヒーを、子どもたちに牛乳を飲ませてあげたい。いとこが来るというので、長女のところの小3の孫娘は一緒に泊まると張り切っている。ただし、23歳の姉と一緒に泊まることを望む甘えん坊である。

 東京都目黒区の5歳の女の子が餓死したアパートの前に、全国から人々がやって来て、お供え物をしている様子がテレビで放映されていた。皆さん口々に、「かわいそうで」「助けてあげられなくて」「とっても悔しい」と言う。優しい人々がこんなに多いのに、どうしてあんなに残虐な悲劇が生まれてしまったのだろう。豊かさの影に何かが潜んでいるような気がする。

 野田洋次郎さんの『HINOMARU』を私は軍歌とは思わないが、震災に遇っても負けないで前向きに生きていく「日本」の姿を歌ったのに、日本の若者はそんな程度かと落胆してしまう。私はジョン・レノンの『イマジン』の方が好きだ。私の心に響く。「想像してごらん 国境なんて存在しないと そう思うのは難しいことじゃない 殺す理由も、死ぬ理由もない (略) 想像してごらん すべての人々が平和のうちに暮らしていると」。

 仲間をつくる、友だちをつくる、と広げていって欲しい。なのに、身近な者だけで固まろうとする傾向にないだろうか。「日本」にこだわる必要はない。「日本」に固まろうとすると、見解の違う人を排除する方向へ進むことになる。5歳の女の子を痛む気持ちを、さらに多くの不幸な子にも向けて欲しい。「自分だけ」に留まらずに。

コメント
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