友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

75歳の誕生日を迎えて

2019年04月16日 16時44分34秒 | Weblog

 とうとう75歳の誕生日を迎えてしまった。こんなに長生きするとは思いもしなかった。31歳の時、内ゲバの余波を受けて滅多打ちにされ、九死に一生を得て翌年に教師を辞めた。教師を辞めた人間を雇ってくれるところは無い。叔父の日本料理の店を手伝ったり、歯科技工の仕事をしたり、悶々とした日々が続いた。

 司書資格を得るために通った小牧市の図書館で、地域新聞を目にして会社を訪ね、雇ってもらった。けれど自分が作りたかった新聞とは違っていた。41歳の時、自分で地域新聞を作ろうと思い立ち、見本となる新聞を切り貼りして作り、趣意書を書いて地域を回った。幸いなことに前町長のふたりが賛同してくれた。

 新聞の販売店の社長との共同経営で、地域新聞の発行に辿り着いた。5年間は記事も写真も割り付けも広告集めも、ひとりで行った。自分の家を事務所にして、カミさんを職場へ送って行った後で取材に行き、また職場へ迎えに行き、空いた時間に記事を書いた。新聞はコラム欄が充実していたので人気が高く、広告収入は増え続けた。

 販売店が社屋を一新した時、3階の倉庫を事務所に当てられた。広告は集まっても集金ができなくて、人を雇うことにした。働きたいという女性を社長が見つけて来て、スタッフが充実したので、大学公開講座を企画したり、冊子を発行してさらに売り上げを伸ばした。10年続けてきた地域新聞を辞め、首長選挙に立候補して敗れ、参議員秘書や編集の仕事など、多くの人に助けてもらった。

 地方議員を10年務め、再び首長選挙に立候補して敗れ、市民活動に引き込まれ、10年間50回市民講座を企画・運営してきた。私は本当に周りの友だちに恵まれた。やりたいことを私なりに充分にやった。悔やむことは何もない。できることなら、次の誕生日を迎える前までに「さようなら」がしたい。生きていることは恥を重ねるばかりだ。そろそろ、終わりにしたい。最後に恋ができれば、こんな贅沢はない。

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