大学で経営を教えていた先生とそのカミさんが、チューリップを見に来てくれた。先生の家はかつて神田明神で花屋を営んでいたそうで、2色のチューリップを眺めて、「こんな色のチューリップは売ってなかったなあ」と言われる。「最近、流行りのチューリップです」と説明すると、「新発売の時はかなりの値段になっていただろう」と推測する。
太平洋戦争が始まった昭和15年12月、明神の境内でラジオ体操が行われるというので、大勢の人が集まっていた。その時、真珠湾攻撃のニュースが流され、境内の人々はバンザイと叫んでいたと言う。そんな子どもの頃だったから、勉強はしなかった、あるいはできなかったのだろう。「大学に入っても真面目に勉強しなかったので、これはイカンと思いやり始めた」ことが、結果として大学の先生になったようだ。
大学の先生になっても家に居ることが多かったので、「お宅のご主人は何しているの?」と近所の人によく聞かれたそうだ。カミさんの方は私と同じ歳だが、18歳の時から和歌を作っていて、それを編集して本にする準備をしている。「私より言葉をよく知っている」と先生は称えるが、18歳から歌を詠んでいるのだから言葉は豊富なのだろう。
4文字カレンダーに、「呑舟之魚」というものがあった。舟を呑み込む大きな魚と訳せるが、常人の常識では計りきれない大人物のことだ。「多岐亡羊」というものもある。道が多くに分かれていて、逃げ出した羊を見つけられないという訳になるが、学問の道は末節にとらわれず、根本を追い求めなければ真理に到達できないという意味で用いられる。
私は中国人の思考は凄いと思う。文字は形象文字から始まっているが、ヨーロッパでは発音を表すことに使われたから、民族が違っても言葉は伝わったのだろうか。東アジアは漢字を用いたが、発音は全く違った。文化を理解する上で、言葉の壁は大きいが、今は直訳する道具がある。意思が伝われば、友だちも増えるだろう。