友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ジジババのコーヒータイム

2019年04月13日 17時21分48秒 | Weblog

 桜の花も舞う春だというのに肌寒い。昼からは日差しもあって暖かくなったが、午前中は空気がひんやりしていた。友だちがチューリップを見に来てくれたが、1枚羽織るものが必要なくらいだった。椅子に腰かけて目線が下がると、チューリップの群生がますます見事に見える。「立派に育ったんじゃないの」と褒め、「ここまでにするまでの苦労は相当なものね」と労わってくれる。

 「寒いから、中でお茶にしましょう」とみんなを部屋に招く。最近、ケーキ作りに凝っているという友だちが持って来てくれたアップルパイを食べながら、いつものように延々と話が続く。ダンナが仕事を辞めて、「さあ―これからふたりで楽しみましょう」という時に、カミさんが引き籠りになってしまった私の同僚は、意外に自分に原因があると気づいていかなかったことなど話す。

 夫婦であれば、いろんなことがある。多くの場合は笑い話で終わってしまう。どこの家庭だってそれぞれに問題は抱えているはずだが、「そんなものよ」と片付けられるなら、それ以上に深刻にはならない。けれど片方が潔癖症であったり完璧主義者であったりして落ち込むが、相方は自分に原因があるとは思わないから、なかなか解決に至らない。

 息子を別居させた母親、娘が家に来ないと嘆く母親、「大人になった子どもにまで構う必要はない」と断言する父親、戦争や私たちの子どもの頃の物のない話からその後の、どんどん豊かになってきた中での子育てなど、途切れることなく話が続いた。編み物教室を開いてきた友だちが、「昼間だけでなく夜間もやってたから、子どもにかまっていられなかった」と言う。

 我が家も私に収入がない時期が何年かあったから、カミさんの苦労は大変だっただろう。子どもたちも不平を言わずグレることもなく、よく育ってくれたと思う。その期間の長女とのやり取りのノートを見ると、「親はなくても子は育つ」という諺が浮かんでくる。子どもたちは子どもたちなりに、精一杯に生きてきたのだろう。いつかこのノートを見せてやろうと思う。泣くよりも笑ってしまうかも知れないが‥。

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