友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

チャンスはいつも目の前にある

2021年02月19日 17時07分07秒 | Weblog

 「娘たちから、通知表もテストも見せてもらったことが無い」とカミさんが言う。それはどうだったのか分からないが、私が「勉強しなくてもいい」と言ったことで、夫婦ゲンカになったことは何度かある。無理やり勉強させても身に付かない。勉強したいと思えば、人はやるものだという私の主張にカミさんは真っ向から反対だ。

 「そんな考えでは、子どもは勉強しない」と言うカミさんの指摘は正しかった。無理やりでも勉強させれば学力が身に付き、勉強が楽しくなって、さらに勉強するようになるらしい。私は父親に与えられた学習辞典が好きで、分厚い辞典を飽きずに眺めていた。数学は出来なかったが、歴史や地理や理科は雑学で覚えていた。

 小学校1年の時、先生が「読める人?」と問うと、「はい」と言ってスラスラ読む子がいた。私は彼を尊敬した。それでも前もって勉強しておく気になれなかった。小学校5年の時のストライキがきっかけで、通知表にいつも書かれていた「積極性に欠ける」「おとなし過ぎる」性格を変えることが出来た。

 それまで授業中に手を挙げることは無かったのに、手を挙げるようになった。児童会や生徒会の役員も務めた。それなのに、勉強には力が入らなかった。高校は進学校でバンカラな校風と聞いていたので、人生や友情あるいは社会や政治など、先生も交えて激論する場と思い込んでいた。今なら分かるが、進学校は大学へ入るための学校で、私は勉強する意欲を失っていた。

 私が勉強するようになったのは、教師になって生徒に教える立場になったためだ。必要になれば人は自ら進んで勉強するようになる。確かにもっと前から勉強していれば、進む道も違ったかも知れない。そんなことは仮説であって、その時その時で人は選択してきた。今が納得できなければ、挑戦すればいい。チャンスはいつも目の前にある。

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