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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男女平等の社会を巡って

2021年02月21日 17時59分08秒 | Weblog

 春のような陽気だったので、朝からルーフバルコニーで一日中、鉢の土を出して古い根を取り出し、赤玉土やバーク堆肥などを入れ、土作りに精を出した。おかげで手が痛い。寝ている時も鉄パイプで打ち砕かれた左手首が痛いのに、今晩は両手の痛みで眠れないかも知れない。

 小5の孫娘が姉の家にひとりで出かけたという。私が小学生の時とは時代が違うから、便利になったのに怖い目に遇ったどうしようと不安も大きい。社会が進んだのに、どうして何の心配もない、素晴らしい社会になっていかないのだろう。

 森喜朗さんの発言で、男女平等社会の問題が再び浮上してきた。国会議員や会社などの管理職に、女性が占める割合が日本は低い。40%にしろとか、いや50%が当然とか、議論がある。枠をはめるのも1つの方法だろうが、それだけでは森さんのような発言は後を絶たないだろう。

 長女が小学生の時、担任の先生が、「お父さんは外で働き、お母さんは料理を作る」と役割分担を説明した。すると長女は、「ウチはお父さんが料理を作ります」と発言して、困った先生は「進んでいるネ」と笑ったようだ。私は教師を辞した時、家庭の主夫に徹しようと思っていた。

 けれど、家事労働は社会的に評価されないし、報酬も生まれない。それが嫌で私は再び社会に出ることにした。女性たちも、社会で自分が評価されることを「平等」と思っていても、それを支える社会の仕組みが充分ではない。まず、誰もが社会で働ける基盤整備が大事だ。

 男女平等の社会は、個々人が認められる社会であって、数字や仕組みが目標ではないが、これを目安として、これからも試行錯誤しながら創り上げていくものなのだろう。

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