テレビドラマで聞いた、「ウソには、他人につくウソと、自分につくウソがある」というセリフが、ズーと気になっている。他人につくウソは、いくらでも目にする。総務審議官時代に受けた接待について、山田内閣広報官が国会で答弁したが、私にはウソとしか思えなかった。
7万円もする会食の席で、何が話されたのか、誰が出席されたのか、問われても「一般的な懇談だった」としか答えていない。質問する野党も、「一般的な懇談とはどういうものか」とさらに畳みかけていない。なぜ、自分が出席したのかを考えずに参加するなどあり得ない。
他人につくウソは、自己保身だったり、騙すためだったり、あるいは自分をよく見せたいためだったりする。遅刻したりすると、急に用事があってとか、電車が遅れたとか、もっともらしいウソをつく。「綺麗だね」と言われて、まんざらでもないと思っていても、「全然、美人じゃーないわよ」と遜る。
26日の読売新聞に、小学校1年の男子の『おとうさんにもらったやさしいうそ』と題した作文が載っていた。
「おとうさんはちょっととおいところでしごとをすることになったから、おかあさんとげんきにすごしてね」と父親は言い、入院して1週間後に亡くなった。「おとうさんは、あえないあいだにぼくがかなしまないように、わざとうそをつきました。うそはふつうよくないけど、これは、おとうさんがぼくのためについてくれたやさしいうそだとおもいます」。
泣けてしまって、声に出して読めなかった。この子はきっと大きくなっても他人にウソをつくことは無いだろう。さて、私の課題である、「自分につくウソ」の具体例がどうしても浮かんでこない。そう思って考え込み、これがウソなのかと思ってみたりした。