寒いなと思ったら、雪が積もっていた。昨日のように吹雪くことは無かったが、気温はかなり低い。おかげで一日中読書し、とうとう村上春樹氏の『ノルウェーの森』を読み終えた。村上氏のことを私はよく知らないが、大学紛争で大荒れだった早稲田に入学したのは1968年である。
避けて通っていたとしても、学生運動を目の前で見ていたはずだ。上巻の77ページに「結構、解体するならしてくれよ、と僕は思った。解体してバラバラにして、足で踏みつけて粉々にしてくれ。全然かまわない。そうすれば僕だってさっぱりするし、あとのことは自分で何とでもする」とある。
全共闘の「大学解体」を主人公はそんな風に受け止めている。「ストが解除され機動隊の占領下で講義が再会されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした」と批判的だ。
私がもし早稲田にいっていたら、村上氏に近いかも知れない。大学解体を叫びながら、授業に出て試験を受け、一流企業に就職していく、それを受け入れられるほど強い精神力が私には無いからだ。確固たる信念など無く、流されて生きている主人公に通じるものがある。
小説のテーマはそんな青春の葛藤では無かった。物語を膨らませるためなのか、やたらとセックスが出てくるが、それも「生」と「死」の問題の鍵のようであり、そして相手を理解することの難しさでもあった。主人公は高校生の時に親友に自殺され、その親友の恋人と恋に落ちたが、その恋人も自殺してしまい、自分の「生き方」に苦悶する。
最後の文章が見事だ。「僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。(略)僕はどこでもない場所のまん中から(結婚する女性の名を)呼びつづけていた」。