こんなに長く閉じ籠り生活が続いていると、さすがにちょっとしんどくなる。気が滅入るというか、生きている気がしない。友だちが「明日、コーヒータイムしないか」とメールをくれた。男ばかり3人でコーヒーを飲んでも面白くないが、家から出られるだけでもホッとする。
テレビで北京五輪を観て、日本選手の活躍にもっと一喜一憂して、感激の涙を流してもよいのだけれど、選手があんなに必死で競技しているのに、無造作に点数がつけられてしまうのが耐えられない。競技なのだから勝者と敗者があるのは当然なのだろうが、分かっていても「もういい」という気になってしまう。
「愛国心が無い」と言われれば、そうでは無い気がする。応援しているのは日本選手ばかりだから。テレビに出てくるケント・ギルバートさんの『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』を読んだが、全く視点が違うと思った。彼は96%もの日本人が自分の国に愛着があると答えているのに、素直に「愛国」と言う言葉を使うことが出来ないのが不思議だと言う。
彼は「万民のための自由と正義を備えた共和国アメリカに忠誠を尽くす」と言う。国のために命を捧げてこそアメリカ国民だと力説する。「万民のための自由と正義」を理想とする国家を目指してアメリカは独立した。その理想は尊いし、世界中の誰もが目指す国家像だろう。けれど、だから命を捧げるべきだとなると、それは違うと言わざるを得ない。
「日本人は曖昧」という指摘は当たっているだろう。論理を詰めて合理的に進めることが苦手だ。彼が素晴らしいという聖徳太子が示した『17条の憲法』にある、「和をもって貴し」の考え方が日本人の基調にある。これもいいが、あれもいい、と絶対をつくらないことが平和に生きていける、そういう道を日本人は歩いてきたのだと私は思っている。