友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日は読書から解放される

2022年02月08日 17時44分07秒 | Weblog

 巣ごもり生活のおかげで、書棚に並んでいるだけだった小説が幾冊か読めた。小説を読んでいると、私は小説家には向いていないと思った。文章を書くことは嫌いではないが、小説となると構想力が要る。私は見たものを見たままに書くことしか出来ない。

 小6の時、児童会を代表して国鉄の機関車の運転席に乗ったことがある。機関車は急には止まれないことを知らせるためだった。私は朝礼で、「自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことをお話しします」と言ったところ、児童会の先生から褒められた。

 それから、見たこと聞いたことをどう伝えるかに関心がいき、高校では新聞部に入部した。隣りの文芸部に友だちがいて、頼まれて詩や紀行文を書いたけれど、顧問の先生からは「独りよがりだ」と酷評された。機関誌に載った友だちの創作物語を読んで、その構想力に圧倒された。

 新聞記事は簡潔でなくてはならないし、何がどうしたかがハッキリしていないと伝わらない。囲み記事なら400字から600字までにまとめ、しかも読み手になるほどと思ってもらえる文章でなければならない。「余分な言葉は省け」が鉄則だった。

 今、小説を読んでいると光景が目に浮かぶし、冬の寒さや夏の暑さ、春のホッとした感じや秋の清々しさが文章から感じられる。読み進めると、そうだったのかと気付くのは伏線が織り込まれているからだ。何気ない文章が続くと、この先はどんな展開なのかと、知らず知らず読み続けてしまう。

 小説に新聞のような問題提起がない訳ではないが、やっぱり人の深淵に迫るものが多いし、そうでなければ小説の意味が無いような気がする。明日は新築した孫娘の家を訪問するので、読書からは解放される。20代で家を持ったふたりに、何かお祝いを持って行かなければと思う。

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