読売新聞のトップ、渡辺恒雄氏が亡くなった。98歳とあるから長生きした人である。どんな人なのかと思って略歴を見て、その移り変わりに何故か納得した。渡辺氏は1926年の生まれだから、戦争と戦後を生き抜いてきた人である。
東大に入学したが招集され、僅かな期間だったが軍隊の経験もある。この頃の少年は軍国少年が多いのに、彼は愛国教育を勧める校長を仲間で闇討ちしているからビックリする。すぐに終戦となり東大に復学し、日本共産党に入党した。
渡辺氏は学生たちに、共産党への入党を勧める活動を盛んに行った。しかし、共産党に自由が無いことを知り、離党する。新聞記者になろうと、朝日新聞を受けるが不合格となり、読売新聞に採用され、政治記者として歩むことになった。
政界の黒幕とか妖怪とか言われる、新聞記者になっていったのは渡辺氏の資質なのだろう。それにしても、自分が若い頃は否定していた「保守」に、どっぷりと身を置けた「変節」には驚く。でも、考えてみれば、人は皆そうして生きて来た。
60年安保や70年安保、歴史がひっくり返るような時代に「保守政治の打倒」を叫んでいた若者たちも実社会に出て、社会の変革よりも自らの生活の安定を望んだ。それでも、「男女平等」や「同一労働、同一賃金」を実現してきた。
渡辺氏は読売新聞で、「憲法改正」や「自衛のために軍隊を持つ」と主張しているから、青年時代の夢はいったいどこへやってしまったのだろう。読売新聞の政治部長を長く勤め、一目置かれる存在になり、政界も彼を重宝するようになり、ますます君臨していく。
権力の座に長く留まってはならない。どんなに立派な人も、長く権力を握り続けると必ず腐る。これはどうやら人間の本性だろう。政治の世界は顕著だが、どんな業界でも同じなのかも知れない。自らを制することは困難だから、周りから言えることが大切になる。