佐藤優氏の『国家を斬る』を読んでいる。まだ、半分ほどだから、評価はできないが、結構おもしろいなと感じている。国家権力は常に歯向かう者を容赦しない。しかし、相手が小者ならば安全のために遊ばせておく。同じ権力の側にいながらはみ出し者や異端者は、徹底的に叩き潰される。徳川300年の歴史はその繰り返しだった。紀伊国屋文左衛門のような成り上がり者は、一時は商人の手本のように扱われ、そしてすぐに潰された。
平成の時代にあっても、堀江モンや村上ファンドはもてはやされ、そして切り捨てられた。誰が正統な権力なのか定かではないが、権力はその体制を維持するために、様々な形の粛清を行うが常のようだ。人間の社会は本来がそういうものなのかと思えるほどだ。会社でもそして労働組合でも、権力を得た者はその地位を守ろうとして対抗者を潰す。
佐藤氏は元外務省職員(本人は今も職員の身分にあると言っているが)で、ロシア政策の担当者。鈴木宗男さんが捕まった時、一緒に悪さをしていたといわれた人で、外務省の怪僧ラスプチーンと呼ばれていた男だと記憶している。私は外務省職員の中にもカネに汚い奴がいるのだなとくらいにしか思っていなかった。新聞に載っていた書籍広告を見て買ったのだが、まさかその汚い男が著者だとは知らなかった。
でも、読んでみると権力の構造を暴いているようでおもしろい。なるほど権力は内部の敵に対しては凄まじい力でねじ伏せようとするのだとよくわかる。かつて、田中角栄が総理大臣の時はジッと伏せていたのに、福田総理に代わるやロッキード疑惑が持ち上がり、田中角栄は太閤から犯罪者へと転落した。佐藤優氏がどこまで国家の権力構造に迫れるのか、見応えがあるように思う。
そしてもう一つおもしろかったのは、佐藤優氏は浦和高校の卒業生であるが、高校時代は社青同に属していたようだ。そういう人でも権力に近づくことができる、つまりは国家公務員試験を受け、外務省の試験もパスすれば、外務省職員になれるということに感動した。本書の中で佐藤氏が階級について、マルクスは資本家階級と労働者階級と地主階級の3つを規定していることに触れ、4つ目に官僚階級を上げていることもおもしろいと思った。
「税金というのは実は収奪なんです。国家というものが背景に暴力をもって、(略)この収奪をするのは具体的には官僚なんですね。(略)資本家、労働者、地主から収奪して、それで食っている人たちです。より多く収奪して、その一部を再分配してあたかも再分配機能を果たしているかのように、社会福祉機能を果たしているかのように表象する、収奪機関が国家である」と、なかなかよい視点を持っていると私は思った。
国家なんかいらないとする私のアナーキズムにつながりそうにも思う。今はもう少し、佐藤氏の著作を読んでみる必要があるなと思っている。
平成の時代にあっても、堀江モンや村上ファンドはもてはやされ、そして切り捨てられた。誰が正統な権力なのか定かではないが、権力はその体制を維持するために、様々な形の粛清を行うが常のようだ。人間の社会は本来がそういうものなのかと思えるほどだ。会社でもそして労働組合でも、権力を得た者はその地位を守ろうとして対抗者を潰す。
佐藤氏は元外務省職員(本人は今も職員の身分にあると言っているが)で、ロシア政策の担当者。鈴木宗男さんが捕まった時、一緒に悪さをしていたといわれた人で、外務省の怪僧ラスプチーンと呼ばれていた男だと記憶している。私は外務省職員の中にもカネに汚い奴がいるのだなとくらいにしか思っていなかった。新聞に載っていた書籍広告を見て買ったのだが、まさかその汚い男が著者だとは知らなかった。
でも、読んでみると権力の構造を暴いているようでおもしろい。なるほど権力は内部の敵に対しては凄まじい力でねじ伏せようとするのだとよくわかる。かつて、田中角栄が総理大臣の時はジッと伏せていたのに、福田総理に代わるやロッキード疑惑が持ち上がり、田中角栄は太閤から犯罪者へと転落した。佐藤優氏がどこまで国家の権力構造に迫れるのか、見応えがあるように思う。
そしてもう一つおもしろかったのは、佐藤優氏は浦和高校の卒業生であるが、高校時代は社青同に属していたようだ。そういう人でも権力に近づくことができる、つまりは国家公務員試験を受け、外務省の試験もパスすれば、外務省職員になれるということに感動した。本書の中で佐藤氏が階級について、マルクスは資本家階級と労働者階級と地主階級の3つを規定していることに触れ、4つ目に官僚階級を上げていることもおもしろいと思った。
「税金というのは実は収奪なんです。国家というものが背景に暴力をもって、(略)この収奪をするのは具体的には官僚なんですね。(略)資本家、労働者、地主から収奪して、それで食っている人たちです。より多く収奪して、その一部を再分配してあたかも再分配機能を果たしているかのように、社会福祉機能を果たしているかのように表象する、収奪機関が国家である」と、なかなかよい視点を持っていると私は思った。
国家なんかいらないとする私のアナーキズムにつながりそうにも思う。今はもう少し、佐藤氏の著作を読んでみる必要があるなと思っている。
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