「オレ、今な、小説を書いている」。高校の新聞部の仲間が集まった時、彼はちょっと自慢気にそう言った。「古代から現代まで、時空を自由に超える話だ。芥川賞をもらったら、みんなにもおごってやるから」と続ける。「芥川賞は将来性のある作家に贈られるからこの歳じゃー無理だね。せいぜい本屋大賞じゃーないの」と冷やかすと、「まあ、今に見ておれって」と笑う。
70歳を超えてもまだ小説家を夢見ている。現実が見えていないと笑われそうだが、そんな馬鹿馬鹿しいことに夢中になっていられることが羨ましい。「オレのさ、豊富な恋愛経験がベースになって、時代を超えて行くのさ」。ああ、知っている。結婚も何度もしたし、高校時代も好きな女の子が何人もいた。特にちょっと色黒だったけど、どことなく官能的な雰囲気が漂っていた、大人っぽい女の子に夢中だった。
ピチピチのセーラー服を着ていて、夏は短い丈だったから素肌が見えて困った。「胸も大きかったんだぞ」と言うので、「えっ、見たの?」とみんなが声を揃えた。「見たかった」「やっぱり」。ただひとりの女性部員が「どうして男性はそんなに胸を見たがるの?大小はあっても変わらないわよ」と釘を刺す。それはそうなんだけど、惹かれるように出来ているから仕方ない。
隣りに座った女性の足を見て、ドキッとした。スカートの下から惜しげもなく投げ出された足はとても白かった。美術室にある石膏像のように、細っりとして美しかった。彼は「触ってもいいですか?」と聞いた。女性は黙ってうなずいた。小さくて細長い足は湿っていた。どんなに長い間握っていても冷たかった。彼はただ満足だった。川端康成の小説『眠れる美女』の老人もこんな心境で女の子を眺めていたのではないか、そう思った。
形のよい冷たい足にもう一度触ってみたい。彼は夢の中で、子どもの頃、母親の胸に抱かれた時の甘い匂いを思い出していた。白い足の女性の胸を想像していた。時空を超える小説がどんなものなのか、妄想の世界は次第に広がっていった。今晩は名演の7月例会、文学座の『セールスマンの死』を観る。
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