友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子どもにも見せる

2011年08月01日 22時31分53秒 | Weblog
 無事に終わりました。祭りを楽しむ、祭りを盛り上げる、そんな思いでいつも夏祭りに参加している。今年の場所はちょっときついかなと思ったけれど、それでもまあ、たくさんの人々が買い求めてくれた。「鮎の塩焼きを楽しみにしています」と言ってくださる人が大勢いるのには感謝しなくてはならないだろう。焼きソバは大変な重労働だけれど、これをやり遂げてくれる仲間がいるからありがたい。焼き鳥やネギマは焼くのも一苦労だけれど、今年も若いイケメンたちが頑張ってくれたので完売できた。

 2日とも我が家で反省会という名の飲み会だったけれど、ホントにみんなが楽しんで出来たことが一番嬉しい。祭りの関係者たちが「よく売れてますね」と言う。それは嬉しいけれど、「儲かったでしょう」と言われるのにはちょっとガックリ来る。確かによく売れているけれど、決して儲かっているわけではないし、儲けようと思っているわけでもない。私が仲間のみんなに言うのは「楽しんでやろう」の一言に尽きる。私たちは祭りを楽しむことで参加しているわけで、儲けることが目的ではない。

 延べにすれば30人近い仲間は誰もが義務感でやっていない。だから、仕入れの割りに利益が出なくても「細かいことを言ってはダメだよ」となだめている。物凄く売れているけれど、利益は少ない。それは仕方がない。自分たちで飲んでしまっているし、食べてしまっている。それだけなら留まらず、知り合いが来ればタダで飲ませたり食べさせたりしている。それを非難したり、止めたりする必要はないと思う。確かに大雑把な運営で、気に入らない人もいるだろうけれど、みんなが気持ちよく楽しめればそれでいいのだ。

 9月に、売り上げを元にみんなでスーパー銭湯に行って、風呂に入り、飲んで食べて歌って楽しむ。子どもたちも一緒だ。子どもたちは酒を飲むことはないけれど、自分たちの父親や母親、そればかりか祖父母に当たるような私たちが何を話し、何に笑い、何に驚喜するのか、目の当たりに見ることになる。そうやって参加して来た子どもたちも今では大学生や大学院生になっている。まだ小学生や中学生の子もいるけれど、大人たちの馬鹿さ加減を知っておくのもいいと私は思って、どこの子どもも皆参加させている。共に汗水流し、反省会で共に食事をする、そうやって子どもは大人になっていけば、地域が子どもを見守ることができるのではないか。

 大人はどうしてお酒を飲むのだろうと私も子どもの頃に思っていた。そのイメージは決していいものではなかったけれど、大人はこんな風に馬鹿な話を一生懸命でやっていることを見せればいいと思う。だってそうだろう。「あんたに弔辞を読んでもらいたかったのに、あんたのような酒飲みはきっと先に逝ってしまうだろう。だから、私があんたの弔辞を詠むことになってしまう」と勝手なことを言っているのだ。子どもたちからすれば、どっちも年寄りで、どちらが先に逝こうがかまわないことに何故嬉々として酔っ払ってしゃべるのだろうと思うはずだ。

 そんな馬鹿騒ぎが身近にあれば、大人に対する見方も違うはずだ。可愛いと思ってくれればそれで充分だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日からは夏祭り | トップ | 男たちの夢だったのか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事