友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男たちの夢だったのか

2011年08月02日 21時58分33秒 | Weblog
 長女の小学校の時の友だちのお父さんが亡くなった。5年くらい前から、私たちの「夜桜を楽しむ会」に参加するようになり、秋のバス旅行にも一緒に出かけたことがある。女の子は長女が小学3年生か4年生の頃、よく我が家に遊びに来ていた。給食のない土曜日は、我が家で何度か食事をしていった。それからその子がどうなったのかわからないけれど、私が首長選挙にはじめて立候補した時、お父さんは自治会の会長だったが、子どもも奥さんもいなかった。自治会から推薦して欲しいと支持者の女性たちが詰め寄ったけれど、彼は「それはできないが、娘の友だちのお父さんだから個人的には応援する」と答えた。私はスジの通った人だと思った。

 その後、しばらく見なかったけれど、彼が退職してからか、私たちが飲み屋で飲んでいたりする時に出会ったりした。その辺が縁で、夜桜の宴に参加してくれたように思う。日頃でも声が大きいのに、飲むともっと大きな声になり、誰にでも絡むので相手をする人は大変だっただろう。私が知っているのは、家柄がよかったけれどうまくいかずに北海道へ渡ったことや、それで一旗挙げようと頑張ってきたことなどだったと思う。私よりも2つ年上だから、高度経済成長を支えて来た世代だ。美しい奥さんがいたけれど、いつの間にかひとりだった。そんな彼が同じひとり暮らしの女性と一緒に住むようになったのは何年位前からだろうか。

 最期を看取ったのはその同居していた女性だったのか、縁を切って出て行った娘だったのか、詳しいことは知らないけれど、喪主は娘さんが務め、同居の女性は遺影を持っていた。焼香をさせていただいた時、娘さんは私に気付いて会釈したので、最期のお別れの時に側に行って、一緒にお酒を飲んだ話をした。人はどんな人生を歩いて来たとしても、生まれる時も死ぬ時もひとりだ。70年近く生きてきてもその人の人生はその人でしかわからない。同居していた女性も私たちと一緒にバス旅行などもする仲間だった。亡くなった彼は「細かいことに目が届く人で、塵ひとつ落ちていたら気に入らなくてすぐ怒鳴る」と嘆いていた。私は彼から直接、「掃除の出来ない女は嫌いだ」と聞いていたのでなるほどと思った。

 彼は豪快な大酒飲みで、みんなを呼んで飲むのが好きだったようだ。私は一度も家に上がったことがないけれど、高級な洋酒がずらりと並べてあったと聞いた。「あんたが選挙に出なかったら、オレが出ていた」と酔っ払って彼に言われたことがある。「選挙は誰が出ても自由だから、どうぞぜひ出てください」と言ったけれど、立候補の話は出なかった。同年代の男たちがそんな野望を持っているのだと私はその時知った。誰かが担ぎ出してくれたなら、立候補しようと思っていた男たちが大勢いたのだ。それは議員を名誉職と考えている世代だったのだろう。この街をどういう地域にしていくかではなく、最期にたどり着く地位であったのだ。

 虚しい気がした。愛することや愛する者がいない、それはどんなに悲しいことだろう。以前、縁を切った娘を探していると彼から聞いたことがある。病室で娘や孫たちに会い、涙を流していたと聞いた。あの世に旅たつ幾日か前のことだ。あの世で会ったら、よかったじゃないかと言ってやろう。
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