友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日からは夏祭り

2011年07月29日 20時46分20秒 | Weblog
 昨夜、友だちからメールが来た。「ちょっといい喫茶店を見つけたので、行ってみませんか。彼なら泣いて喜ぶ喫茶店ですので、お誘いください」とある。名指しされた彼に早朝、電話してみた。「ぜひ、行ってみましょう」と言うので、午前10時にその喫茶店に行く。途中で最近私たちが井戸掘りをした場所に寄った。カルガモを放して稲を育てていると聞いたので、どんな具合かと気になったのだ。近づくとあちらこちらからカルガモがやってくる。20羽放したと聞いていたが14羽しかいない。観察記録というタテ看板があってそれを見ると、「1羽死んだ」とか「1羽元気がない」とか書いてある。

 さて、そのお目当ての喫茶店に行くとほぼ満員状態だった。やはり尾張人は喫茶店好きなのだろう。お客のほとんどは女性で、男性はわずかしかいない。「泣いて喜ぶ」というのはどういうことなのだろうかと彼に聞くと、「焼酎が出るとか、可愛い女の子がいっぱいいるとか」と冗談を言う。そのくせ、「朝飯は抜いて来た」と言うから、モーニングサービスが凄いと分っていたようだ。本当にその答えどおりで、380円のコーヒーを頼むと5種類のモーニングサービスから選べると言う。私は朝飯は食べて来たので、手作りケーキを注文したが、他の二人はそれぞれサラダ付きのサンドイッチとトーストを頼んだ。

 お客はほとんど女性だったけれど、男女ペアも2組いて共に高齢だった。1組は男性が新聞を女性が週刊誌を読み、もう1組は二人とも週刊誌を呼んでいた。この2組とも店内では会話をしていなかった。席を立つ時も男性が立ち上がると女性も遅れて立ち上がり、伝票を持ってレジに向かった。もう1組の方も男性が「いくぞ」と言っただけで、女性は何も言わなかった。この店には恋人らしきカップルはいなかったけれど、恋している男女なら絶えず何かを話しているのに、夫婦となるとほとんどが口を利かないのはどうしてなのだろう。香港へ旅行した時も、会話がないから夫婦だとすぐに判ってしまう中に、何となく初々しい雰囲気の男女がいた。熟年世代だが、点呼の時に姓が違っていた。

 そんなことを友だちと話していたら、「夫婦で喫茶店に行くことはまずないね」と2人の先輩が言う。「何も話すことがない」のがその理由だ。話すことがないままにいたら、突然に離婚した夫婦のケースもある。定年退職してこれから残りの人生を楽しもうという矢先のことだ。男性の方がアパートを借りるだけの手切れ金を渡され、慣れ親しんだ家から追い出された。すると先輩は「その時はその時だ。また新しい女を見つければいい」と言う。もう72歳で、金もない男について来てくれる女がいるのだろうか。しかし、先輩は自信ありそうだった。

 そんな気軽な先輩諸氏と明日から2日間、市の夏祭りで屋台を開く。もう5年目になると思うけれど、まだまだ元気だ。いや逆に、夏祭りに参加することで元気をもらっているのかも知れない。そんなわけで、明日と明後日はブログを休みます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人は人によって傷つく | トップ | 子どもにも見せる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事