友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

次女とその娘がやって来た

2015年05月19日 21時59分17秒 | Weblog

 仙台から次女が、1歳の誕生日を迎えた孫娘を連れて帰って来た。毎日のようにメールで写真が送られて来るので、その成長ぶりは分かっているつもりでいたが、こうして実際に会ってみると本当に大きくなった。5月の連休の時に、ダンナの両親が兵庫県から仙台へ1歳の誕生祝いに出かけたけれど、孫の成長は本当に楽しみだ。私には3人目の孫だけれど、ダンナの両親にとっては初孫で、何をやっても可愛いと見えただろう。

 月末には次女と孫と、長女の一家の8人で、1泊旅行に行く計画もある。長女のところの一番上は20歳だから、6歳の孫娘には母親のような姉である。その6歳の孫娘は次女のところの娘が自分とは従姉妹であると認識していることには驚く。きっと、長女が妹の子どもは「あなたの従姉妹なの」と教えたのだろう。だからなのか、6歳の孫娘はママの妹の1歳の孫娘と、「一緒にお風呂に入り、一緒に寝る」と、自分が世話をするのだと張り切っている。

 兄弟姉妹の子どもたちは親たちが集まる度に顔を合わせるので、いとこ同士の絆のようなものが生まれてくる。私も父の家である本家に集まる従姉妹たちの面倒をみた記憶があるし、母の実家に帰ると母の弟妹の子どもたちと遊んでもらった記憶がある。自分と年齢の近い子どもが一番仲良しだったし、影響も大きかった。母が亡くなり、父が亡くなって、従姉妹たちとの交流も途絶えてしまった。

 従姉妹会を作って交流を続けているという話も聞くが、誰かが音頭を取らないとなかなかできないし、年長者がその役目を引き受けないとそれも無理のようだ。私が私の兄弟の集まり、と言っても兄や姉の子どもたちと私たち夫婦と妹夫婦の集まりを続けているのも、亡くなった兄に代わって、兄や姉の子どもにつながりを意識して欲しい、君たちは決して孤立した存在ではなく、血のつながった人がいることを知ってもらいと思うからだ。

 だから、どうっていうことは何もないけれど、自分に血のつながった者がいることは確かな事実だ。それで何か助かるとか、いいことがあるとか、そんなことは無いだろうが、自分が父と母との間に生まれたように、父と母には兄弟姉妹がいて、そこには子どももいる。生きているのは自分だけれど、父と母の兄弟姉妹の子どもたちも生きていて、どこかで似たところがあるものだ。そんな風に考えるとちょっと楽しくなる。

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