友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分中心な人たち

2018年12月07日 17時08分34秒 | Weblog

  灰色の雲が空を覆っている。冷たい北風が吹き出した。気温は一気に下がった。師走の寒さがやって来た。寒いのは嫌だが、逃げ出すことは出来ない。

 東西南北の交差点の角に、牛丼の吉野家がある。南から右折してきた車が吉野家に入ろうとするが、西行きの車が連なっていて入れない。運転手の男性は窓を開け、「おい、入れないじゃないか。どけよ」と怒鳴るが、入り口の車は前も後ろも詰まっていて動けない。その前の車が車幅を詰めてくれればいいのに、その車は知らん顔だ。

 運転手はクラクションを鳴らし、語気を強めて「どけよ!」と怒鳴り、手を振って前に詰めろという動作をする。やっと、前の車が動き出し、入り口にいた車も前に詰めた。その時、信号が変わり車は一斉に動き出したから、結局、怒鳴らなくても待っていれば入ることは出来ただろう。最近、何故か運転手はイライラしている人が多い。

 狭い道で、自転車に乗った女性の荷籠から傘が飛び出していた。よりによって長い傘を横にして置いているから、すれ違う車がそれを避けようとして電柱にぶつかりそうになり、結局止まった。けれども自転車の女性は何事も無い顔で進んで行く。「悪かった」とも「ごめんなさい」とも思ってはいない。自分の行為が相手に何をもたらすかなど考えたことも無いのだろう。

 東名高速で煽り運転を行った男の裁判が話題になっている。車を運転すると人が変わってしまう人は確かにいる。車という空間が自分を包んでくれ、しかも車は自分の意思に従うから、何故かエライ人になった気分にさせるから、「そこのけ、そこのけ」運転をしてしまうのだろう。一度やると何度も繰り返すようだから怖い。

 自分だけで生きている訳ではないし、自分だけでは生きることはできない。なのに、人はどうして自分中心になってしまうのだろう。今日の中日新聞に小説家の諏訪哲史さんが「今の日本は『他者を許さない』苦界です」と書いていた。全くそう思う。思いやりとか譲り合いはどこへ行ってしまったのだろう。


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