友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そろそろ読み終わるのに、さっぱり分からない

2023年01月29日 18時44分40秒 | Weblog

 岡井隆さんは21歳の時に洗礼を受けたクリスチャンだったが、その後はキリスト教を思考の対象としていた。中日新聞の朝刊に、50文字ほどの岡井さんのコラム『けさのことば』が、1984年から2014年まで連載され、私は興味を持って読んでいた。

 日本共産党のシンパだった時期もあり、皇居での歌会始の選者になる時は、左右から批判があったようだ。実生活では、3度も結婚しているし、この他にも何人かの女性と関係を持っているらしいから、惚れっぽいのかと思ったら、本人は「逃げ遅れる性質」があると『わが告白』に書いている。

 本書では、なぜ離婚を繰り返したのかは明確では無いが、「何によれ予想通りにはいかないと、いったんは諦めて順応しようとする。が、しばらくするとそこから脱出しようとした」「わたしは、男女の関係性という場面では、深いところでは生きて来ず、浅処をつねに渉っていたという外ない」とある。

 また、別のところでは、「最初の結婚でつまづくとすぐに転んで、浅い沼から立ち上がり、次の不可能性の婚へとうつる。それもうまく行かないと、第3の婚を目ざして、遠くへ逃げた。そして、それもまた離婚すると、今の状況へころげこみ」と書いている。

 子どもの頃から「臆病」だったいうが、生活するにはお金が要るから、金銭的な不自由の経験は無かったのだろう。最初に結婚した相手は、同じ「アララギ」の年上の歌人で、この頃は年上の女性に接触している。ところが中年になると、今度は年下の女性と生活するようになる。

 「独断専行」の「身勝手な」男であるのに、どうして女はいったんは受け入れ、そして離別を迎えるのだろう。私には理解できないが、興味深い。岡井隆さんの『わが告白』はそろそろ読み終わるのに、まださっぱり分からない。暗中模索で、読んでは戻り、また読んでいる。


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