友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父の日

2014年06月14日 11時27分54秒 | Weblog

 デイゴの花が咲きました。2日間も強い風に煽られて、かなりの花が落ちてしまったけれど、それでも負けずに頑張っています。明日は「父の日」、近くの幼稚園からマイクの声が聞こえてきます。日本の父親は権威を失くしたと聞きます。国に対する敬愛とか父親の権威とか、自然に湧き出すものを、あるとかないとか言うのもおかしなものです。

 こんな話を聞いた。父親は妻と子どもたちに、「君たちは判断できる立場にない。一家を支えているのは私で、私は君たちを守るから、君たちは私に従っていればいい」と言ってきた。彼は妻を働かせることなく、子どもたちに不自由させることもなく、立派な申し分のない夫であり父親であった。妻である母親は収入の範囲でやりくりするのが当然で、範囲を出なければ習い事でも女子会でもやればいいが、決して金がないとかは言ってはならないのがきまりである。

 何事を行なうにも夫の了解が必要だった。子どもたちは母親から父親に伝え、了解を得るのがしきたりだった。娘は結婚し、新しい家庭を持つことになった。母親と同じように専業主婦となり、母親と同じように全てを夫に決めてもらい、自分はやりくり上手な立派な主婦を目指した。ところが夫は、「いいよ」と言うばかり。そのうち、「自分で決めればいいじゃーないの」とまで言う。

 自分も母のように夫を敬愛し、夫に従うことに喜びを感じたいのに、夫は自分を大切に思い自分を自由にさせてくれる。子どもたちは祖父に甘えられるのに、自分はやはり父親に甘えることはできない。子どもたちと夫と自分は、どちらか言えば友だちの様である。周りの同じくらいの家庭を見ても、そんなに大差ない。

 夫と妻と子どもという家庭が多くなり、家庭の形が変わってきた。家庭の中の父親の存在感が薄くなったのも仕方ないことだ。自分らしく振舞う他ないだろう。今日は、大和塾の講演会があり、夜はクラス会に誘われている。初めは参加する予定でいたけれど、行けなくなったと伝えたら、「バス旅行から戻ったらみんなで集まるから来ませんか」と誘ってくれた。そんな訳で、今日は午前中に書き上げたが、見直す時間がない。

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