友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

分かっても分からなくても

2012年05月19日 21時42分05秒 | Weblog

 あの時、ああすればよかった、こうすればよかったと悔やむことは人生に付きものだ。しかし、終わってしまったことをあれこれと考えてみても仕方がない。悔やむ心からは、過去に学び将来に生かす教訓など、生まれるはずはない。宮本武蔵ではないが、「われ事において後悔せず」とする方がスッキリしている。

 私は、人はいつも選択していると思っている。よく考えて決めることもあるし、たまたまそうなってしまったこともある。それでも人は何らかの選択をしている。その選択が間違いだったと感じたなら、修正もしているはずだ。それに修正が効かないようなら、生きていることは地獄のようなものだろう。

 けれども、人はいつも地獄にいるわけではない。最低なところにいると思う時もあれば、最高と感じる時もある。決していつも同じところに留まっていない。井戸掘り仲間の友だちが水戸黄門の主題歌にあるように、「いい時もあれば悪い時もある。悪い時ばかりも続かないし、いい時ばかりも続かない」と口癖のように言うが、真理だと思う。

 うまく水脈に当たる時もあれば、全く掘れない時もあるし、順調に掘れていたのに固い石や岩盤のような層に当たってしまう時もある。ああすれば、こうすれば、いろいろやってみるけれどやってみること自体がさらに事態を悪くすることもある。自分ひとりなら過去から学び次の行動の指針を立てることは難しくても、大勢の仲間で作業している時は冷静な人もいて、意外に方向が決まることもある。逆に船頭が多すぎて、どうにもならなくなることもある。

 しかし、こんなものだよ人生はと思えば気持ちは楽になる。今日の新聞で投書に目がいった。アメリカがマーシャル諸島で核実験を行った際に、日本の第5福竜丸は死の灰を浴びたし、島の人々は放射能汚染のために故郷を追われた。島の人々に賠償金が支払われ、「楽」な暮らしが実現したかに見える。しかし、島の人々の自殺率は高い。人は「楽」だけでは幸せになれない。役割を果たすことがないことは辛いことなのだ。

 同じ新聞で、高校の生徒会長になった女の子が「何事にもチャレンジすることの大切さを学びました」と言っていた。彼女は善良で優秀な生徒なのだろう。私は「高校生の、高校生による、高校生のための学校」を目指して生徒会長になったが、何一つ変えることは出来なかった。学校は先生のためにあり、生徒はよりよい大学に行くために学校へ通っていた。何も変わらないのが世の中で、しかし実は世の中は何かによって変わっている。それが一体何なのか、高校を卒業して50年になるのに、未だに分からない。

 分かっても分からなくても、なるようになるさ人生は。それが今の私が知りえたことである。自分の現在は選択してきた結果なのだ。明日は小学校のクラス会のためにブログは休みます。

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