友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

金環日食

2012年05月21日 21時50分29秒 | Weblog

 今朝、高3の孫娘が貸してくれたメガネで金環日食を見た。テレビは午前6時前から、金環日食の様子を随時報道していた。見ていて、そんなに大げさに取り上げるべき内容なのかとちょっとヘソが曲がった。カミさんは以前から金環日食に関心が強く、わざわざ地上に降りて見に行ったけれど、私はとてもそんな気になれず、「テレビの方がはるかにキレイじゃーないの」と嫌味を言う程度だった。マンションからは見えないため、地上に降りて建物の間から眺めている何人かの善良な金環日食ファンがいるのが部屋から見えた。

 この地方での金環日食は何百年ぶりとかテレビの記者が話していた。しかし、再びこの地方で金環日食が見られるのは29年後だと言う。それなら孫娘たちは、再び金環日食を見ることが出来るだろう。滅多に見られない現象だから、大騒ぎになるのは仕方ないけれど、太陽が月によって遮られるだけの、単に稀に起きる偶然に過ぎない。そのために、宇宙に大きな変化が生まれてしまうというようなことであれば、それは大問題で、関心を持って現象を見つめる必要もあるだろう。太陽の活動が停滞期に入っているらしいが、金環日食とは関係ないことだろう。

 稀に生まれた現象であるけれど、小学生の時にも日食はあった。ガラスをろうそくの炎に当てて煤で黒くして太陽を見たけれど、それでは金環日食剥離になるとテレビは言っていた。何年かぶりと言えば、昨日は小学校6年のクラス会だった。幹事が卒業記念文集の復刻版を作ってくれた。いや、そればかりか当時を偲ぶことが出来る写真や、担任が作ったというジオラマをカメラで撮影して大型スクリーンで見せてくれた。ここが理科室だたとか、小使いさんがいた部屋だとか、ここに池があったとか、この坂は急だったとか、いろんなことが思い出されて話は大いに盛り上がった。

 私が小学校に在学中に創立80周年だったという記憶も間違っていなかった。創立90周年を昭和38年に迎えているのだから、昭和28年だったことになる。私たちの卒業が昭和32年だから小学3年生の年ということになる。私たちが6年の時の校舎は市の歴史民俗資料館として残っている。子どもの頃はもっと緑が多い学校だったように思うけれど、最新の写真で見るとなぜかちょっと寂しい気がする。写生大会が行われていた城跡の公園に昔の城を再建する案もあると聞いた。市長とは小学校で同学年だったけれど、城の再建などよりも桜を増やして公園の拡張と整備を優先して欲しいと思った。

 江戸時代には城の下まで、船が着くようになっていたそうだが、今は埋め立てが進んでいるので、城を中心に公園を広げてもいいのではないだろうか。私は故郷を離れてしまったけれど、クラス会に出席した男子の多くは生まれ故郷で生活しているし、その子どもや孫も私たちと同じ小学校へ通っている。私が暮らしていたところもすっかり変わってしまったし、街全体が大きく様変わりしているけれど、故郷というものはなんとなく懐かしいものだと歩いてそう思った。

 長女から送られてきた写真を載せておきます。長女のダンナが苦労して撮ったものです。

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