人は誰でも歳を取る。美しい横顔だった人も、顔のしわが目立つようになる。瞳だけは変わらないように思っていたけど、やっぱりそれ相当の輝きに変わっていく。オリンピックの画面を見ながら、雑誌を見ていたら、こんな短歌に出会った。
「日和見もノンポリも言ふいつか行く老人ホームに自治勝ちとらむと」。「ジーパンによおと手を挙げ君は来るいつまでも主語は『われわれ』にして」。「墓場までスクラム組まむと予約せりロッカー式の納骨堂を」。私より少し若い全共闘世代なのだろう。
全共闘が暴れまわっていた頃、本当に彼らは革命が起きると思っていたのだろうか。やがて大学を卒業し、会社や役場あるいは大学に職を得て、既存の社会の中で生活しながら、昔を懐かしむだけの常識の人となっていく。
「みずからの影を凍らせ歩みゆく『善い人』なれば鞄を提げて」。「いっせいに年金受ける手続きの朱印の花びら空に乱舞す」。「恋は死を超えると歌の流れゆき酔いたるままの声のさざ波」。今はもう恋することも無く、歳ばかりが積み重なっていく。
学校の先生だったと思われる女性の歌に心惹かれた。「わたくしは誰の母にもなるまいと生徒の名前呼び捨てにせず」。「お喋りを『もう話さない!』と𠮟りつけ『もう離さない!』と言ひ返さるる」。「安っぽく抱かれたくなる夜がある今日は生徒を叱りすぎたか」。
三十一文字でこんなにも情感豊かに表現できる短歌は凄い。高校の国語の教科書に載っていた若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただただよふ」に出会った時、とても衝撃を受けたことを思い出す。
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