新聞の文芸欄に、「あなたは朔太郎、それとも中也?」という見出しで原稿募集の案内が載っていた。萩原朔太郎の詩も中原中也の詩も、高校の国語で出会ったと思うが、1篇の詩を見ただけでそれ以上に勉強した記憶はない。
朔太郎の「光る地面に竹が生え 青竹が生え 地下には竹の根が生え 根がしだいにほそらみ 根の先より繊毛が生え かすかにけぶる繊毛が生え かすかにふえる」は、何を詩っているのかよく分からなかったが、何となく力強い生命力を感じた。
中也の「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」は、鮮烈な印象だった。自分の心に小雪や風が吹きつけてくるように、寂しくて耐えられない気持ちになり、共感できた。
けれど、ふたりの詩人の他の作品を読んでみることはなかった。中也は荒れた生活の果てに、若くして死んだという一般的な知識はあったが、朔太郎については近代詩の父という程度の受験知識しかなかった。朔太郎は明治19年(1886)生まれ、中也は明治40年(1907)生まれで、詩人としての活躍も朔太郎の方が早い。中也は30歳で、朔太郎は55歳で亡くなっている。
ふたりに共通しているのは、医者の息子であり、幾つもの大学や専門学校を転々とし、昭和初期のモダニズムの風潮を受けた。しかし家庭には恵まれなかった。中也は酒クセが悪く、小心な好青年の中也の写真からは想像できないが、150センチの小柄な身体にもかかわらず、誰かれ構わずケンカしたという。
中也の詩に惹かれるのは、どうしようもなく満たされない、悲しさを感じるからなのだろう。「汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れっちまった悲しみに なすところなく日は暮れる」と詩は結んでいる。
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