どこのテレビ局か忘れたが、戦争の記録を残しておこうという番組があった。戦争中なのに、童謡に合わせて「東条英機の禿げ頭」と歌っていた。予科練は厳しい訓練で有名だったようで、出来ないと板で尻を叩いた。「板で叩いて 屁こいた」と笑いをとっていた。 国民総決起が叫ばれ、婦女子まで竹ヤリを構えた訓練が行われた時代、その不満を歌にしていたことに驚いた。先日、三岸節子記念美術館で開催されている『中谷ミユキ展』を観ていた時、制作した年のサインが「2605」のものがあった。
戦争中だから1940年頃なのに、何かの間違いでは無いかと思って、係りの女性に尋ねた。その女性も分からなくて、事務所へ聞きに行ってくれた。「皇紀という意味だそうです」と教えてくれた。神武天皇が日本を建国されてからの年数のようだ。三岸さんや中谷さんらの女流画家協会にも、戦意高揚のために協力要請があったのだ。戦後になって、軍部に協力したと叩かれた画家で有名なのは藤田嗣二さんだが、みんなそんな風にして生き延びてきたのだろう。
軍部の要請に応えなければ、自分がいじめられる。戦争中だから「アカ」呼ばわりされて、投獄されるかも知れない。強い力の前で、人は正義を貫くことは困難である。フジテレビと中居正広さんの問題も、なぜかよく似ている。
記者の皆さんも、自分の人生を掛けるくらいの覚悟で臨んでほしかった。「文春によれば」の質問は余りにお粗末だった。とまあ、他人のことは何とでも言える。正念場に立たされた時、自分がどう行動できるかと問い直してみる。
過去は取り戻せないし、やり直しは出来ない。かと言って、これからの人生で、決断を迫られるような場面があるとは思えない。多分あるとすれば、死ぬに当たってということだろうが、葬儀はしなくてもいい、遺灰は持ち帰るなと伝えてある。
クソ真面目な日本人にも、替え歌で不満をぶちまけていた血が流れている。次の時代は、正面向かって自分の正義を貫ける時代であって欲しいものだ。
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