市の講座『大人の国語・算数・理科・社会』の社会の授業が昨日行われた。メガネなしで果たしてオーバーヘッドの文字が見えるのか不安だった。演題は「多文化共生社会の実現へ」とあり、外国人支援を行って来た佐藤久美先生の実践に基づく話だった。
日本は外国人の労働力に頼らなくてはならないのに、実際は共生社会になっていない。私も昔、頼まれて外国人に日本語を教えていた。先輩格のおばさんは「カラオケなども行く」と言っていたが、私はそんな遊び半分ではダメだと参加しなかった。
けれど、何年かするうちに、「教える」というより「付き合う」ことが大事と分かって来た。それで、ベトナムの青年たちとは居酒屋へも行くようになった。佐藤先生は言う、「国際交流はゲストとしてもてなす」が、「多文化共生は住民として受け入れる」ことだと。私は日本語を教え、日本の風習を教えれば、彼らも生きていけると思い込んでいた。
それよりも以前、ブラジル人の一家が借家に住んでいた。両親は働きに出て行くので、子どもたちは近所でブラブラしていた。これでは可哀そうだと思い、学校に行くように勧めたが、当時はまだ学校の受け入れ態勢が出来ていなかった。いきなり同じ歳の日本人のクラスに配属され、日本語が分からないのに授業を受けることになった。
そんな苦痛の学校生活だったのに、学校には通っていた。私が「学校では何が楽しい?」と聞くと、「給食」と言う。家に居たら食事もできない。給食が食べられてよかったが、給食費は親の負担なので払えなくなり、子どもたちは学校へ行かなくなった。あの子たちの両親と、たとえ言葉が通じなくても、近所付き合いをしていればよかったのにと思う。
今日は朗読クラブの発表会だったが、その話はまた明日。
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