入院中は「世界陸上オレゴン大会」を見ていた。陸上競技だからリレー以外は全て個人の身体能力を競うものだ。野球やサッカーのような団体競技は、個人技も魅力があるがどちらか言えば、チームプレイが見事に実現された時に大喝采が沸き上がる。
陸上競技のように、個人が走ったり、跳んだり、投げたりして、競っているだけなのに、なぜ見ている人を興奮させるのだろうと思った。テレビを見ていて、その理由が分かった気がした。個々のアスリートが必死に頑張る姿に興奮しているのだ。思わず、ガンバレと応援している、それが心に何かを伝えているようだ。
大相撲にしても、どうしてあんなにブヨブヨに太った奇形の1対1の取り組みに興奮してしまうのか。ボクシングのような野蛮な殴り合いに、必死になって見入ってしまうのか。見せるスポーツは、やっている本人よりも見ている個人が興奮している気がする。
世界陸上やサッカーの親善試合(?)を見ていたら、スポーツに国境は無用だと思った。紹介される選手を見ても、何処の国なのかは胸の国家名でしか分からない。フランスチームなのに、ブラジルやアルゼンチンや他国出身の選手なのだ。日本人が欧州を旅行していても、チャイニーズと間違えられるように、顔や肌の色で判断できなくなっている。
世界はどんどん混血が進んでいる。それでいいと思う。人類はもともと混ざりあって生き延びてきた。純潔種などは進化を妨げる価値観なのだ。グローバル化が進めば、人の交わりも盛んになり、人類の混血はいっそう強まるだろう。きっとそれが人類の宿命なのかも知れない。
アスリートの体形は実に美しい。長い手足、縊れた腰、艶々した肌、絵描きは筆を執り、写真家はシャッターを押し、凡人はただただ見とれる。国家対抗よりも個人がいかに記録を残すかに競技大会の意義がある。ガンバレニッポンではなく、アスリートの個人名を上げて応援する時代になりつつある。
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