録画してあった『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか』をやっと見終わった。4時間にも及ぶ長編だったので、結局は3日間に分けて見た。放映されたのは昨年の暮れ、12月24日だった。A級戦犯の東條英機が絞首刑となったのが12月23日で、葬儀が行われて60年目に当たるということだった。当時4歳の私には全く記憶がないが、70歳より上の人たちでもどれだけの人が覚えていることだろう。
私が戦犯に興味を覚えたのは高校生になってからだ。ドラマのタイトルにもあったように「あの戦争は何だったのか」と思った。中学の時に日本国憲法を知り、日本は決して戦争をしない国になると決めたが、じゃあ誰がどうして戦争をしたのか、その責任は誰がどのように果たしたのか、そんな疑問が残った。公職を追放になった人のいたことは親類にそのような人がいたから知っていた。しかし、その人よりもっと上の、国家の方針を決めた人たちがいるはずだ。誰がどのように決めたのか、天皇には責任はなかったのか。
半藤一利氏の『昭和史』を読んでいたので、およその事実経過は知っていた。新井喜美夫氏の『「名将」「愚将」大逆転の太平洋戦史』を読んでも同じだったのは、戦犯の中心人物とされた東條英機だった。終戦後に自決した杉山元陸軍大臣はドラマの中で東條を「学なし、識なし、胆なし」と評していた。東條は「器の小さい」男のようで、自分に反対した者を前線に送ったりしているし、何よりも「自決」の道を選ばなかったことが人々の評価を悪くしている。自決した杉山元だって、終戦の時には死を選んでいない。カミさんから自決を迫られ、東條と同じようにピストル自殺をしている。
東條がどんな人だったか、私はそれぞれの書物でしか知らないが、東條には最高責任者という自覚がなぜなかったのだろうと思う。彼は、陸軍士官学校を50人中の42位で卒業していることや陸軍大学校を3度も受験していることがコンプレックスになっているようだ。「努力する」ことを尊び誇りとしてきたが、それは同時に自信のなさを表しているようにも見える。彼が日本を、心からかはわからないが、「神国」と思い込み、天皇を「神」とあがめたかったことは確かなようだ。そう思うことで、天皇より首相の命を受けたことを何よりも生き甲斐としたかったのだろう。
東條は戦陣訓を公布し、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と強要した。けれども自分自身はそれを守らなかった。中国に攻め入って10万人の兵士が亡くなっている。ここで中国から撤退したのでは死んだ英霊に申し訳がないと陸軍の最高幹部たちは口にしたけれど、ひとりでも犠牲者を少なくすることが英霊に答えることだとは誰も考えなかった。それで負けた時は、自分のふがいなさを自覚して自害する責任感も無かった。日本の兵隊の武士道とはこんなにもいい加減なものだったのか。
「戦争の原因は欧米の東アジアに対する半植民地の影響と世界の赤化を狙う共産党の策動だった」と東條らは弁護士に意見書を出している。戦争の責任が問われないままに60年、今再び東條らと同じことを言う人々がいる。どんな戦争であっても許さないことこそが一番大事なことだと思う。
私が戦犯に興味を覚えたのは高校生になってからだ。ドラマのタイトルにもあったように「あの戦争は何だったのか」と思った。中学の時に日本国憲法を知り、日本は決して戦争をしない国になると決めたが、じゃあ誰がどうして戦争をしたのか、その責任は誰がどのように果たしたのか、そんな疑問が残った。公職を追放になった人のいたことは親類にそのような人がいたから知っていた。しかし、その人よりもっと上の、国家の方針を決めた人たちがいるはずだ。誰がどのように決めたのか、天皇には責任はなかったのか。
半藤一利氏の『昭和史』を読んでいたので、およその事実経過は知っていた。新井喜美夫氏の『「名将」「愚将」大逆転の太平洋戦史』を読んでも同じだったのは、戦犯の中心人物とされた東條英機だった。終戦後に自決した杉山元陸軍大臣はドラマの中で東條を「学なし、識なし、胆なし」と評していた。東條は「器の小さい」男のようで、自分に反対した者を前線に送ったりしているし、何よりも「自決」の道を選ばなかったことが人々の評価を悪くしている。自決した杉山元だって、終戦の時には死を選んでいない。カミさんから自決を迫られ、東條と同じようにピストル自殺をしている。
東條がどんな人だったか、私はそれぞれの書物でしか知らないが、東條には最高責任者という自覚がなぜなかったのだろうと思う。彼は、陸軍士官学校を50人中の42位で卒業していることや陸軍大学校を3度も受験していることがコンプレックスになっているようだ。「努力する」ことを尊び誇りとしてきたが、それは同時に自信のなさを表しているようにも見える。彼が日本を、心からかはわからないが、「神国」と思い込み、天皇を「神」とあがめたかったことは確かなようだ。そう思うことで、天皇より首相の命を受けたことを何よりも生き甲斐としたかったのだろう。
東條は戦陣訓を公布し、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と強要した。けれども自分自身はそれを守らなかった。中国に攻め入って10万人の兵士が亡くなっている。ここで中国から撤退したのでは死んだ英霊に申し訳がないと陸軍の最高幹部たちは口にしたけれど、ひとりでも犠牲者を少なくすることが英霊に答えることだとは誰も考えなかった。それで負けた時は、自分のふがいなさを自覚して自害する責任感も無かった。日本の兵隊の武士道とはこんなにもいい加減なものだったのか。
「戦争の原因は欧米の東アジアに対する半植民地の影響と世界の赤化を狙う共産党の策動だった」と東條らは弁護士に意見書を出している。戦争の責任が問われないままに60年、今再び東條らと同じことを言う人々がいる。どんな戦争であっても許さないことこそが一番大事なことだと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます