友だちが「感動した」と言った『サイレント・ブレス』(南杏子著 幻冬舎文庫)を読み終えた。著者の南さんは1961年生まれ、日本女子大を卒業し出版社勤務を経て、医学部に学士編入し、卒業後は都内の大学病院老年内科に勤務している。
小説のテーマは副題に「看取りのカルテ」とあるように、「人の最期」を扱っている。5人の最期の様子が、ひとりの女性医師の目で細かく描かれている。現場を知っている著者だけに、小説とはいえ内容がとてもリアルだ。
病人を受け入れた医師は、回復に向けて全力で取り組む。病院は病気の人を助けるための施設である。病気の人が病院へ行くのは、病気を治療して欲しいからだ。だから医師は患者からいろいろ聞いて、診察し、診断を下して治療に当たる。
私も高齢になって分かったことは、回復しない病気があることだ。どんなに苦しい治療であっても、元気になれるなら我慢もできる。けれど先回、十二指腸潰瘍の手術を受けて、もしこれが回復の見込みの無い病気であれば、そっとしておいて欲しいと思った。
私としては充分に生きてきた。確かに井戸掘りはまだ途中だけれど、私でなくても仲間の誰かが担ってくれる。たとえ、井戸が完成しなくてもそれは仕方のないこと、私の生きている目的では無いし、今更生きる目標など考えられない。
カミさんがコロナ感染して、結婚以来ずーと一緒に寝てきたが、床を別々にした。病院に入院していれば、そこの医師が死亡診断書を書いてくれるが、病院の世話にはならないとなると、自宅で治療を受けることになる。
私が使っているこの部屋にベッドを1つ置き、在宅医療の医師に診てもらうことになるのかとあれこれ考えてしまった。「看取り」を専門とする病院がこの街にあるのだろうか。その医師は、私が望むような医師なのだろうか。
長女のダンナも「医師は治療だけでなく、人生観というか哲学が求められる時代になりました」と言う。高齢者だけではなく、不治の病に襲われる若い人もいる。回復の見込みの無い病気とどう向き合うのか、医師の苦悩もよく分かるが、私たち自身がどう考えるのかが大切だと思う。
私のいびきのせいで安眠妨害と言われてから(会社員時代)すぐ別に寝ていますよ。
おかげでよく寝れるとの事。お互いストレスから解放されたのでそれで良いと。
良い睡眠は大事ですから…。