男には、前向きなタイプと後向きのタイプというか肯定的なタイプと否定的なタイプの2種類があるようだ。高校生の時に読みふけったスタンダールの『赤と黒』もそうだったような気がする。小説では2つのタイプを鮮明に見せるために、対比させて物語を展開させているけれど、実際の私たちは、相反するものを内包させている。高校生の頃は、どちらかに徹しなければならないと考えていたから、善に徹しきれない自分が嫌だった。私は中学からキリスト教会に通っていて、牧師になろうかとさえ思っていたが、しかし神の使徒にはなれないと悟った。それでは悪に徹することが出来るのかと言えば、それも出来ず中途半端な、どっちつかずの生き方だった。
高校生の時に両親を亡くしたので、大学に進まなければ東京へ行こうと漠然と思っていた。しかし、1つしか受けなかった大学に合格できて、安易な生活の道を選んでしまった。大学4年の時に、東京の教科書会社でアルバイトすることになった。そのまま、働いていれば間違いなく東京人になっていたはずだが、上司が嫌で戻ってきてしまった。波乱万丈な生活が待っているだろうと思っていたのに、好きな女性と結婚し、子どもが生まれ、普通のニューファミリーとなった。それで満足であったし、捨てなければならない理由はなかった。しかし中間層の生活に向かって進んでいながら、社会や教育の矛盾に目を向けてもいた。
自己犠牲や敵対する組織を暴力で駆逐して新しい社会など生まれるはずがない。そんな社会が仮に実現されるとしたなら、それは私が求めた社会ではないと思いながら、はっきりと口にすることは出来なかった。またぞろ、私の中の矛盾が頭を持ち上げ、善など存在しないし悪になりきれないと思うようになった。一切を捨てる道を選択した。馬鹿ばかしいことで一生を終わりたくないと思ったのに、生きることに何も意気を感じていなかった。社会から隔離された生活でよいと思ったのに、実際に生活してみると社会とつながっていないことの寂しさを埋めることは出来なかった。しかし教師を辞めた者を雇ってくれるところはなく、自分で働く場所を確保するより他なかった。
善か悪か、無か有か、絶えず襲ってくる矛盾をうまく対処できないまま歳ばかり重ねて来た。不思議なことは歳を重ねると図々しくなり、人間は矛盾を内包しながら生きているものだと開き直れるようになった。朝日新聞の土曜日はbe版が面白い。『悩みのるつぼ』という人生相談の蘭の回答者に車谷長吉氏という小説家がいる。独特の人生観が私の興味を引いた。友だちが車谷氏の小説『赤目四十八瀧心中未遂』を貸してくれたので、一気に読んだ。主人公と私は瓜二つのところがある。大学に進まず東京へ出ていたら、私の人生はこの主人公みたいなものだったかも知れない。私は善に憧れ、悪を恐れた。いや何よりも安易な道を選んだと言える。それでも時々嫌になって、困難な道を歩もうとし、結局また後悔した。それでも、人生はこんなものだよと開き直っている。
高校生の時に両親を亡くしたので、大学に進まなければ東京へ行こうと漠然と思っていた。しかし、1つしか受けなかった大学に合格できて、安易な生活の道を選んでしまった。大学4年の時に、東京の教科書会社でアルバイトすることになった。そのまま、働いていれば間違いなく東京人になっていたはずだが、上司が嫌で戻ってきてしまった。波乱万丈な生活が待っているだろうと思っていたのに、好きな女性と結婚し、子どもが生まれ、普通のニューファミリーとなった。それで満足であったし、捨てなければならない理由はなかった。しかし中間層の生活に向かって進んでいながら、社会や教育の矛盾に目を向けてもいた。
自己犠牲や敵対する組織を暴力で駆逐して新しい社会など生まれるはずがない。そんな社会が仮に実現されるとしたなら、それは私が求めた社会ではないと思いながら、はっきりと口にすることは出来なかった。またぞろ、私の中の矛盾が頭を持ち上げ、善など存在しないし悪になりきれないと思うようになった。一切を捨てる道を選択した。馬鹿ばかしいことで一生を終わりたくないと思ったのに、生きることに何も意気を感じていなかった。社会から隔離された生活でよいと思ったのに、実際に生活してみると社会とつながっていないことの寂しさを埋めることは出来なかった。しかし教師を辞めた者を雇ってくれるところはなく、自分で働く場所を確保するより他なかった。
善か悪か、無か有か、絶えず襲ってくる矛盾をうまく対処できないまま歳ばかり重ねて来た。不思議なことは歳を重ねると図々しくなり、人間は矛盾を内包しながら生きているものだと開き直れるようになった。朝日新聞の土曜日はbe版が面白い。『悩みのるつぼ』という人生相談の蘭の回答者に車谷長吉氏という小説家がいる。独特の人生観が私の興味を引いた。友だちが車谷氏の小説『赤目四十八瀧心中未遂』を貸してくれたので、一気に読んだ。主人公と私は瓜二つのところがある。大学に進まず東京へ出ていたら、私の人生はこの主人公みたいなものだったかも知れない。私は善に憧れ、悪を恐れた。いや何よりも安易な道を選んだと言える。それでも時々嫌になって、困難な道を歩もうとし、結局また後悔した。それでも、人生はこんなものだよと開き直っている。
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