穏やかな一日、中学生がワイワイと楽しそうに話しながら帰っていく。私の中学校は刈谷市の東のはずれの方にあったので、家から学校まで30分ほどかかった。登校は近所の友だちと一緒に行くが、帰りはひとりの時が多かった。
学校までの道は舗装されていなくて、道の両脇は畑地で、ところどころに肥溜めが置かれていた。帰り道にふざけ合って その肥溜めに落ちる子がいた。中にはわざと大きな石を肥溜めに放り込んで、周りに糞尿をまき散らして喜ぶ子もいた。
何年生の時だったのか覚えていないが、先生が「男子は体操服に着替えて、便所の前に集まれ」と言う。何をするのだろうと思っていると、大きな桶を渡された。便所の蓋を開け、柄杓で糞尿を掬い上げ桶に入れる。
その桶を運動場の南の端まで持って行く。そして、「出来るだけ遠くへ流せ」と先生は言う。運動場の南側は崖になっていて、崖はその下の用水路まで続いている。中学生の男子はここを、戦場やジャングルに設定して遊んでいた。
あんなところに大量の糞尿を流して本当に良かったのかと、今なら思うけれど、その時は臭いし汚いし、嫌だなあーとくらいしか思わなかった。いつもは汲み取りの業者が来るのに、その時はどうして生徒にさせたのだろう。
まだまだ全体に貧しかった。体育の時間に先生が「体操服のズボンを脱げ」と言った。ひとりの男子が先生のところへ行き、何か告げていた。すると先生は男子のズボンを引っ張って覗き込み、「ヨシ」と言う。どうしたのと彼に聞くと、「パンツをはいてなかった」と言う。
彼は父親が戦死した母子家庭だった。そんな家庭がまだまだあった。傷痍軍人が家々を回ってくることもあった。橋の下で暮らしている人もいた。あれから65年を経て、世の中は全く変わった。「明日は結婚記念日の前日だから、名古屋でディナーにしましょう」とカミさんは言う。そんな訳で、ブログは休むことになるだろう。
冬に雪が積もると、もうわからない。私は幸いに落ちたことは無いけど
友達数人が落ちてた。勿論名古屋の話ではなく、その時は多治見市にいたので。
小学校2年から4年の1学期までの懐かしい思い出です。