暑い。我が家ではまだ一度もエアコンを使っていない。カミさんは、南に面したバルコニーにゴーヤのすだれを作った。次女のダンナのお父さんが、昨夏にゴーヤで日よけをしたところ結構役に立った話を聞いて、俄然やる気になったのだ。ゴーヤもいろいろ種類があるが、これが一番いいだろうというものを勧められて、その苗を買ってきたのだ。肥料が足りないのか、葉っぱの育ちは悪いが、何本かの実が大きく育ってきた。
この暑さの中で昨日、政府による原発の依存度を将来どのくらいにするか、国民の意見を聞く聴取会が名古屋で開かれた。全国で行なわれるものの3度目だそうだが、仙台市に次いで名古屋市でも電力会社の社員が原発推進の発言をして、会場は騒然となったようだ。発言した人は「あくまでも個人的な意見」として、「原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」と述べたばかりか、「福島原発事故の放射能で亡くなった人はひとりもいない」と言い切った。
誰がどのような発言をしても、それは民主主義だから自由と考える人もいる。それは民主主義を手前勝手に解釈していると私は思う。この会の目的は広く国民から意見を聞くもので、電力会社の原発推進の意見はいくらでも発言できるし、政府への影響力を持っている。だからこそ、政府が広く国民の意見を聞くというのは文字通り一般の人々を指すと考えるのが常識だろう。それをわざわざ電力会社の原子力部に勤務する課長が発言するのはおかしいと指摘する方が正しいと思う。
それにしても、この課長は「原子力のリスクを過大評価している」とか「再生可能エネルギーを拡大させるシナリオは破綻している」と政府を批判し、原発依存度を「35%案や45%案があれば、それを選択していた」と発言する熱烈な原発推進論者である。これが電力会社で原発の放射線管理の専門家の考えなのかと知ると恐くなる。しかも、「放射能で亡くなった人はひとりもいない」とどうして言えるのか、私には理解できない。政府から立ち退きを言い渡され、再び故郷に帰ることが出来ない人々がいる現実をどう考えているのだろう。この課長は自ら進んで、放射能汚染で苦しむ福島に移り住み、放射能被害なんかないと実証する気はあるのだろうか。
意見聴取会の運営の仕方も考えさせられる面がある。0%、15%、20から25%の3案に対して各3人が平等に意見を述べるのだが、応募者は0%が106人、15%が18人、20から25%が37人あったというから、比率で見れば15%が1人なら、20から25%は2人で、0%は5人である。この方が公平であるように考えるがどうだろう。多数が正しいとは限らない。小数の意見を尊重してこそ民主主義という。しかし、意見を述べ合うことこそが民主主義と私は思う。だから原発推進も排除すべきではないが、どのように議論をしていくのかを考えて進めるべきだろう。
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