友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「人生・スポーツそして平和」

2008年03月10日 22時00分41秒 | Weblog
 4月13日(日)に、中日ドラゴンズ前社長の佐藤毅さんを講師に迎え、第8回市民講座を開催する。市民のための勉強会「大和塾」も2年目となり、講師の人選がますます大変だと思っていたのだが、いつも神様には助けてもらう。今回も、たまたま佐藤さんと高校時代に同級生という方が塾生にあり、とんとん拍子に話が決まった。

 佐藤さんは昭和6年生まれ。早稲田大学を卒業し、中日新聞の記者となった。新聞記者となった理由は高校時代にあったようだ。16歳で終戦を迎えたその日、校長は「この敗戦の悔しさを忘れずに、必ず復讐してくれ」と語ったそうだ。それが半月もたたないうちに、「この前の発言は取り消す。これからは自由と民主主義だ」と話したことに反発を覚えたと言う。「社会の真実と世界の動きを知りたい」。この気持ちがジャーナリストを選ばせたようだ。

 私は佐藤さんとは13歳も年下なので、そうした大人たちの変貌は知らないが、戦争を起こしたあるいは戦争を賛美した人たちが、国の中枢にいることが理解できなかった。高校の図書館で、『この人を見よ』(?)という書名だったか定かではないが、戦争を推進しながら戦後も要職にあった人たちのことを書いた本も読んだ。戦争協力者は公職を追放されたはずであった。確かにそういう人は私の身近にもいたように思う。私が理解できないのは、自ら戦争に協力した人たちがどうして戦後もそのまま居座ることができるのかということだ。

 自分の信念であるいは自分の思想が戦争を賛美したものであるなら、これが否定された時点で自ら身を引くのが人としての生き方であろう。ましてや日本人は誠実をもっとも尊いものと考えてきたはずである。自分の生き方が間違いであったなら、責任を取って決して身を引く決意があってしかるべきだ。「神国日本!」と叫んでいた口で、「国民が主権の国づくり」とどうして言えるのか、それが私にはわからない。

 自分が言ってきたことが間違いであって、民主主義が大切と本当に考えるなら、もちろんそういうことだってあるのだから、その時は、なぜ自分が変わったのか、どこがどう間違っていたのか、きちんとすべきだ。日本人は「水に流す」という言葉が好きだ。とても潔いし、そうすることで双方がうまく納まる。けれども、そこにはあいまいさが残るし、人の生死が懸かっているのに「水に流す」はしてはならないことだ。

 佐藤さんは記者となって以来、「決してウソは書くまい」をモットーとしてきたそうだ。ウソを書いてはならないが、本当は書かなくてはいけないことでも、実は書かないことが記者にはあると思う。それも本来は記者としてはあるべきことではないが、サラリーマンであるためにやむをえないとしてきたことがあるのではないか。そんなことを佐藤さんには聞いてみたい。

 大和塾の第8回市民講座「人生・スポーツそして平和」は、4月13日(日)の午後2時から、北名古屋市文化勤労会館小ホールにて開催する。北名古屋市体育協会が後援。入場無料、誰でも自由に参加できる。
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バングラディシュ報告会

2008年03月09日 23時01分45秒 | Weblog
 「国際交流マインド」が、2月にバングラディシュを訪問した。私は行かなかったので、今日の報告会は興味深く聞いた。バングラディシュは平地である。海を眺めて、確かに地球は丸いと思ったことはあるが、平地を眺めて、地球は丸いと思ったと言うから、よほど広い平野が続いているのだろう。この平野も、雨季には河になってしまうという。河の流れは絶えず変化し、乾季には豊かな農地に変わるという。

 バングラディシュから日本に来た青年の話を昔、聞いたことがある。彼が言うには、バングラの人々は大地の豊かな恵みに支えられて、満たされた生活を送っていたそうだ。西洋人がやってきて、バングラの人々の製品を買い上げていった。そして、現金生活が社会の中で大きな比重を占めるようになっていった。同時に西洋人の暮らしが見えると、それまで電気がなくても暮らしてきたのに、電気を引いたり、車がなくても平気だったのに、車を欲しいと思うようになった。

 そうして、豊かなバングラはどんどん貧しくなっていったと話してくれた。同じような話をネパールへ旅した人からも聞いた。ネパールでも、昔はみんな仲良く助け合って暮らしていた。ところが、ヒマラヤへやってくる観光客が増え、観光客はお金を遣っていった。それだけでなく、貧しい生活を見て、施しもしてくれた。物乞いが増えた。物乞いの中でも子どもをつれた母親や、さらには子どもが病気だったり奇形だったりすると、いっそう多くのお金を恵んでいくので、わが子の足や腕を痛める親までも現れた。

 みんなが同じ、食事や衣服や家屋で、暮らしていた時には、大きな差もなく暮らしていたのに、文明が入ってきて豊かな生活に近づくと、貧しくなっていく。人間が歩いてきた歴史が見える。先日もテレビで、宇宙ステーションづくりにかかわる日本人技師を取り上げていた。宇宙に人が住める基地を作ってどうしたいというのか、私にはわからない。この地球には65億人という人間が住んでいる。地球に住めなくなったなら、宇宙ステーションに住めばいいなどと言う人がいるが、65億人もの人間が住める場所はないし、移住する手段もない。

 バングラディシュの人々は人間的に豊かだとの報告があった。彼らは目が輝いていたが、日本の若者たちにはそうした輝きがないと。バングラの子どもは青年たちと変わらないくらいに働く。同じ仕事をする限り、10歳の子も20歳の大人も平等のようだ。そして、何よりも彼らは労働を尊重しているし、生きているものを大事にしているという。人々は自然に協力し合っている。農業は自然の驚異と闘いながら、人々が協力して生きていくことの必要性を社会にもたらした。報告の最後に、「バングラディシュに行って、私は心が豊かになった」と結ばれた。
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人間の幸せ

2008年03月07日 23時58分13秒 | Weblog
 昨日、病院に行ってきた。医師は私が持参した血圧計の記録を見て、「やはり薬を飲んだ方がいいですね」と言う。「薬をやめて2ヶ月近くなったのですが、やはりもとのようには戻らないのですか?」と尋ねると、「血管をやわらかくするような薬はまだ開発されていないので、仕方ないでしょう」と答える。

 私が人間ドックの結果について、もう少し慎重になって、他の医院で再度診察を受けてみればよかったのだが、医師が言うのだから間違いないだろうと、血圧を下げる薬を何の疑いもなく飲み続けてしまったために、高血圧症を自ら招いてしまった。とはいえ、決断したのは自分なのだから、医師のせいにすることはできない。

 あの時、ああしなければよかったのにということは人生にはいくらでもある。けれども、その時、決めたのは他の人ではなく自分自身である。だから、全てを受け入れる以外にはない。そこで、自暴自棄となって、どうでもいいやと考えるか、それでもなお、前向きに生きようとするかでは、大違いだと気が付いた。

 私のブログを読んでくれた人が「そんなに自己中心とは思わなかった」と、感想をポロリと言ったことがあったけれど、私が自己中心的な人間であることは間違いない。私は何よりも自己を大事に思ってきたから。自己なくして民主主義はないと考えてきたから。けれども、自己を大事に思うことはそれ以上に他者も大事に思っていることでもある。なぜなら、幸せは自分ひとりでは成り立たないから。

 私が幸せだと思う時は、他者がいて、その他者と自分が一体と感じるような時だ。人の幸せは人と人との間にしか生まれないと思う。私が生きていけるのも、私を必要と思ってくれる人がいるからで、誰からも必要に思われなければ、生きている意味も価値もないように思う。死ぬまで、自分の幸せを求めて生きていくことが人の務めと思えるようになった。

 私が幸せになるためには、私以外の人たちも幸せでなくては、私は幸せを受け止めることができない。だからこそ、大量殺人を目的とするような戦争を許すことはできないし、争いごとは嫌いだ。また、いつかキチンと書かなくてはいけないと思っているが、NHKブックス『暴力はどこからきたか』を今日、読み終えた。

 以前、「ライオンは同じライオンを殺したりしない」と書いたけれど、オスのライオンは子どもを殺すことがあるそうなので、訂正しなければならない。オスのチンパンジーも子どもを殺すことがあるそうだ。いずれも、新たにボスとなったオスが、自分のタネでない子どもを殺してしまうケースだ。自分の子孫だけを残すための行為だという。

 この本では、メスはいじめることはあっても、決して殺すような行為はしない。人間だけがメスもオスと同じように殺しをするようだ。動物のほとんどが同種を殺すことがないのに、人間だけが殺人を犯すし、戦争をすると思っていたが、チンパンジーのオスたちも群れを成して他の群れを襲うことがあるそうだ。

 人の暴力がなぜ生まれたのか、しかも大量殺戮をなんとも思わないのか、人間は誠に不思議な生き物のようだ。
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責任は私たちにある

2008年03月06日 23時03分57秒 | Weblog
 今日は大和塾の3月例会でした。4月13日(日)に、中日ドラゴンズの前社長、佐藤毅さんを講師に迎え、第8回市民講座を開催することや、機関誌『風』の発刊に向けての原稿依頼などを話し合った。また、たまには親睦を兼ねてどこかへ出かけましょうというので、3月28日(金)に「うだつの町、美濃市」を散策することも決まりました。その後、雑談に入り、いろいろ話し合う中で、若い人たちとのギャップが大きいことが話題になりました。

 「若い人たちの価値観や行動様式が理解できない」「すぐにあきらめてしまったり、付き合おうとする気持ちに欠ける」「好きなことには熱中しても、それ以外のことには関心がないばかりか、やらなくてはいけないこともやろうとしない」などなど、若者たちへの批判が相次いだ。その時、一人が「悪いのはみんな私たちと私たちの親なんだよ」と言った。「私たちの親が私たちに何かを伝えていきましたか?私たちが子どもたちに何かを伝えていますか?」。

 私たちの親は、戦争ですっかり自信をなくしてしまった。自分たちが大事だと教えられたことが戦後に否定された。だから、親は私たちに伝えるものを失ってしまった。私たちはどうか、私は終戦の時は1歳なので、戦前は全く知らないし、戦後の生活難も何一つ覚えがない。けれども、私たちよりも上の人たちは、「あんな生活はしたくない。子どもには絶対にあんな思いをさせない」という気持ちが強いようだ。私や団塊の世代になると、世界は急速に狭くなったから、欧米並みの生活や文化に憧れ、豊かさこそが目標になっていた。

 私たちはまだ価値観を形成できないまま、家庭を持ってしまったから、どのように子どもたちに何を伝えるべきか、不確定だった。だから、子どもたちは親からではなく、豊かな社会に育ってきた自分たちで、新たな価値観や行動様式を作り出してきた。結婚しない子どもが多いのも、結婚が必ずしも魅力ではないし有効でもないからだろう。家庭のあり方もしたがって変わってきた。そのうちには家庭がなくなってしまうのではないかと言う人もいる。

 資本主義社会が発展するに従い、労働力が必要になって、山農漁村から多くの人が都会に出てきた。第1次産業労働者は激減し、山も田も海も荒れてしまった。さらに、グローバル化の名の下に企業は外国人労働者を低賃金で受け入れ、また国家公務員が天下り先を作るように民間企業でも古い幹部たちがいつまでも居残り、結局は若者たちの働く先をなくしてきた。若者たちを夢がない連中などと言う前に、そんな社会を作り出してきてしまったのは私たちなのだから、私たち自身が変わらなくてはいけないのだ。

 彼はさらに言う。「年金生活の年寄りの選挙権をなくしたほうがいい。年寄りに限ってみんな投票に行くし、現政権を支持するんだから」とは極論だけれど、確かに私たちをはじめとする年寄りの責任は大きいと私も思う。
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小田和正と小椋佳

2008年03月05日 22時46分08秒 | Weblog
 男性歌手の中にも随分高い音をきれいに出せる人がいて、音域の狭い(人に言わせると音痴と言うことのようだけれども)私にはうらやましい限りだ。ちょっと古い人の仲間入りになってしまうかもしれないけど、そんなひとりの小田和正は好きな歌手だ。テレビドラマの『ファースト・キス』の主題歌を聞いたことから、孫娘も小田和正が好きになり、CD『自己ベスト.2』を買ったので、よく聞くようになった。

 聞いているとほとんどが恋の歌だ。恋は誰もが1度や2度、あるいはそれ以上に何度も経験しながら、なかなか成就しない悲しいことが多いものだ。だからこそ、恋の歌を聞けばみんな納得できるし共鳴できるのだろう。作詞は小田和正自身だが、どうしてこんなにうまく表現できるのかと感心してしまう。「小説とか歌を書く人は、経験が豊富なんですか」と聞かれたことがあったが、これは私のカンだけれど、全く経験のないことは書けないかもしれないが、おそらくは想像力だろうと思う。

 経験も自分がしなくても、本や映画やその他にいろんな情報が溢れているから、そこから想像力が膨らませていける人なら、物語や詩が書けるだろう。その物語や詩が人の心を打つような作品となると、やはり並外れた才能の持ち主であることは間違いない。CDの最初の曲『こころ』ので出しは「人ごみをまぶしそうに 君が走ってくる」。その光景がはっきり見える。続いて「初めから分かっていた 君の代わりはいない」は君を見ている私だ。「確かなことは何も見つからないけれど 君が好き」。人を好きになるなんて、そんなものだと思う。

 この歌にはさらに、素敵な言葉がいくつも出てくる。「世界中でいちばん 大切な人に会った 今日までの そしてこれからの人生の中で」「あのね 生まれて初めてこんなふうに 誰かを幸せにしたいと思った」。全く飾り気のない普通の言葉だから、自分がそう言っているように思えてくるのだろう。4番目の『愛の中へ』の歌詞で一番気に入っているのは、「きかせて あなたの声を 抱かせて あなたの体を 心がことばを超えて 愛の中へ連れてゆくよ」の部分だ。すごく言葉なのにいやらしさがない。

 小椋佳は同世代なのでよく聞く。小椋佳の最新のCD『未熟の晩鐘』は正しく還暦を過ぎたのに、気持ちだけは若いつもりでいる老人たちの歌だ。それでも人は愛することをやめようとはしない悲しい生き物だ。「どうしようもなく 人が恋しくなり マグマの力で人を愛し始める」(『マグマ』より)。「君を讃えたい 讃えたいとはしゃぐ心が今嬉しくて 君に逢いたい 逢いたいと動く心が今嬉しくて」(『美味しい時間』より)。

 私がもっと若かったなら、こんな恋の歌を書くマネもできたかも知れないが、今はもう、人が作ってくれた歌に密かに酔いしれているばかりだ。次の文章はある人の言葉だが、とても心に残っている。「あなたの気持ちを知って、切なくて涙が出てきました。翼があるなら飛んでいって抱きしめてあげたい」。「あなたが幸せだと私も幸せを感じます。また、会いたい。神様 ごめんなさい」。
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せんたくできるかな

2008年03月04日 21時58分54秒 | Weblog
 昨夜のテレビニュースは、超党派の「せんたく」が発足したことを報じていた。今朝の中日新聞の1面トップ見出しは「『せんたく』議連に107人」だった。この中日新聞によると、マニフェスト重視の政治や地方分権の推進を目指す地方自治体の首長らによる政策集団「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合と、これに賛同する国会議員による「せんたく議員連合」の合同発足総会が開かれたというのである。

 「せんたく国民連合」には、代表世話人に北川正恭前三重県知事、世話人幹事に佐々木毅前東大学長、茂木友三郎キッコーマン会長、山田啓二京都府知事らが就任している。週刊誌で「自民党の走狗になったか」と揶揄されている東国原宮崎県知事、日本史を高校の必修とすると決めた神奈川県の松沢知事もこのメンバーである。「せんたく議連」には、自民党51人、民主党47人、公明党8人、国民新党1人が加盟し、総会には77人の国会議員が出席している。

 総会では、次期衆議院選挙を「歴史的な政権選択選挙」と位置づけ、各党のマニフェストにどのような政策を反映させるべきかを議論すると決めたそうだ。また、活動方針として「特定政党、候補者の推薦や選挙活動は一切行わない」と明記したそうである。議連の共同代表の河村建夫議員(自民党)は「政策を合致させることはあり得るが、大連立や政界再編はない」と記者会見で述べている。

 私は「せんたく」に大きな期待をしていない。顔ぶれを眺めると、なんだか新保守主義と言ってよいような臭いがしてくる。「政策を合致させる?」冗談じゃーないよ。政策が違うから、どのような国づくりを目指すのか、もっと言えば、どのような社会にしていくのか、その違いから政党はあるのではないのか。政党がそこに結集する議員の利害を発揮する道具になっていることが問題ではないのか。議論を尽くすことは大いに賛成だが、大局を見ないような論議ならしない方がましだ。そんなことで国民を欺かないで欲しいものだ。

 しかし、こういう動きが結局は大きくなるであろう。社会はますます保守的になっていくだろう。未来を見据えた政党の不在がこれを許している。だから私は、「政界再編はない」のではなく、むしろ再編すべきだと思っている。日本国憲法の理念に基づき、軍隊を持たない国家に向けて、そのために世界平和が何よりも必要であるとの認識に立って、政治を進める政党が必要だと思っている。

 「せんたく」が発足したにもかかわらず、今朝の朝日新聞は全くこのことに触れていない。一体これはどういうことなのか。「せんたく」は取るに足らぬものだという判断なのか、朝日新聞の取り上げ方に注目している。良心の朝日などと言われながら、販売で読売新聞と連携するようなことも報じられている。販売を無視して、良心が貫ける時代では決してない。どうなるのだろう「朝日新聞」。
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ひな祭りなのに

2008年03月03日 22時30分48秒 | Weblog
 今日はひな祭りである。ところが長女は忙しさにかまけて、雛人形を飾っていない。私たち夫婦が彼女たちの家に上がり込んで、雛飾りをセットするというわけにもいかないので、ただ見守るばかりだ。孫娘の方も母親が忙しく、雛人形を飾るほどの精神的な余裕のないことを見抜いているのか、何も言わない。何も言わないことが余計に孫娘の心の中を見せられているような気がする。

 孫娘は、プールの後輩からバレンタインにたくさんのチョコをもらったという。それで昨日、ホワイトデーのお返しを早々に作っていた。家庭科の副読本に載っていたクッキーをウチのカミさんの指導を受けながら作ったのだ。私もおすそ分けをいただいたが、渡す人が多すぎて、クッキーの数が足りず、1袋に2個ほどしか入っていなかった。「こんなに少なくていいのかな」と心配するから、「『クッキーは少ないけど、袋の中には私の愛情が一杯入っているからね』と言って渡しなさい」と話してあげるが、納得していない様子だった。

 孫娘は先日の期末考査の結果が思わしくなく、「ママはプールやめろと言うかな」と心配する。5教科以外が試験に入ってくると順位が下がってしまうクセが孫娘にはある。日ごろが精一杯なところで生活しているから、5教科以外の教科を勉強する時間の余裕がないのだ。カミさんに言わせれば、「授業に集中していれば、その時間内で十分理解できるはず」ということなのだが、一般的な教養とか常識は日頃の家庭環境の影響が大きいから、その点が不足している 孫娘は知識として覚えようとするのだが、それには時間がないということなのだ。

 この期末考査の期間は、「水泳大会と重なっていたから、仕方ないんじゃないの」と言えば、孫娘は「そんなの関係ない」と言い切る。もちろん本質的には関係ないけれど、現実的には朝4時に起き、夜は12時近くまで起きているような生活を1週間も続けていれば、当然能率は下がる。根性だけでは解決できないと私は思う。この試験期間内にあっても毎日ほとんど2時間、特訓の時は3時間も泳ぐのだから、勉強する時間が作れるわけがない。

 成績はそこそこでよいと考えるのか、水泳はほどほどでよいと考えるか、ということであるはずだが、孫娘は「ほどほどに水泳をやるくらいなら、やめた方がいい」と決意が固い。好きな水泳はとにかく一生懸命でやる。学校の成績も上位をキープしたい。それが孫娘の本心なら、そうすればいい。やれるところまでやって、自分が納得のいくようにすればいい。

 人はなかなか納得のいくようには生きられない。生きようとする意志のあることは尊いと思う。
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床屋のカミさん怒る

2008年03月02日 23時00分31秒 | Weblog
 床屋へ行ったら、床屋のカミさんが「もう、ホントに腹が立っちゃう。私らみたいに真面目に働いて、税金ばかり取られて、こんなおかしな世の中早く変えなきゃーダメですよね」と言う。もちろんカミさんは、私が自民党ひいきでないことを知っているから、そういう話をしてくるのだが、彼女の本音でもある。一生懸命に働いても、貯まるお金は知れている。ところが、自分たちだけは濡れ手に粟のようにお金を手に入れる仕組みを作っている人たちがいる。

 床屋のカミさんが怒っているのは、国家公務員の天下りのことだ。3月2日付けの「中日新聞」によれば、道路整備特別会計から、国土交通省の天下り先に1,888億円もの補助金を支出している。同省から1,285人が役員や職員として天下りしているとも報じている。しかも、2箇所目の天下りという人もいるし、年収2,142万円をも受け取っている人さえいる。こうした独立法人や公益法人の常勤役員のうち38人が国土交通省の0Bで、その年収は1千数百万円から2千万円近いとも報じられていた。

 国家公務員だけでなく、県職員も市町職員にもそうした傾向は見られる。それも、一般職にあった人ではなく、幹部クラスの職員である。幹部クラスの職員なら、退職後もお金に困ることはないほどの退職金を得ているのに、どうしてこのような優遇が生まれるのか。それは、政治の癒着の構造と言ってよいと思う。行政のトップにいる連中は住民のためというよりも、スムースな行政運営を第一に考えているから、そのためには議員の要求は受け入れるし、うるさい住民の意見は取り入れる。そしてまた、行政のためによく働いた連中には褒賞としての天下りが用意されるというわけである。そうしたシステムを作り上げておけば、それはまたいつかは自分のためにもなるからでもある。

 国も県も市町村も、ほぼ同じ構図だと言ってよいだろう。こんなおかしなことがどうして許されるのか。議員は地域のエゴを代表するものではなく、あるべき国や自治体の姿、その将来のあり方をも視野に入れて考え、発言する。少なくとも私たち無党派市民派の立場に立つ議員はそう考えて活動してきた。けれども、なかなか多数派にはなれない。地域の利益代表の方がはるかに有権者に受けがよいからだ。正論は現実社会では少数派である。いやむしろ、私たちは孤立しているような場合が多い。一人でも戦う覚悟は皆持っているけれど、時には寂しくなるものだ。

 私は首長選挙に敗れて、一市民となった。報酬だけを目的に議員を務める気持ちはないから、このまま一市民を貫くつもりだ。そんな私に、無党派市民派の議員として頑張っている仲間から「また、一杯やりませんか」と声がかかる。やりきれない思いになる時は誰にもある。そこで落ち込むような時は連絡して欲しい。今の私に何ができるのか、わからないけれど、話し相手にはなれるだろうし、勇気付けるくらいはできるかもしれない。

 「世の中おかしいよ。そう思っている人は結構いるけれど、まだ、大きな力にはなれない。けれども、そういい続ける人がいなければ、そんな巷の声もかき消されてしまうだろう」。
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我が家の女たち

2008年03月01日 21時59分19秒 | Weblog
 孫娘と二人で、彼女の母親である長女の研究発表会を見学にいってきた。車のナビを孫娘にセットさせて出かけたが、どう考えてもナビの示す道よりもここで曲がった方がスムースにいけるのにというケースがあった。そこで曲がろうとすると、「ダメ!ナビのとおりに行って!」と孫娘は言う。「せっかく私がセットしたのだから、このまま行って!」と強く言う。「ホントにどうして我が家の女どもは、命令口調でしか言えないのかな」と言うと、「私は違う!私はもっと優しい!」と言う。

 その孫娘が帰路で、そろそろ家に着くという頃に、カミさんに知らせるために電話を入れた。「もう5分くらいで着くからね」。するとカミさんは何を思ってか、「それで?」と聞き返してきた。電話を切って、孫娘は怒っている。「私が一番嫌いなのは、人が話した後で、『それで?』『だから?』と聞き返すこと。馬鹿にしている!」。そうだよね。「わざわざ電話をありがとう。待ってるわね」とか言って欲しいものだ。「それで?」「だから?」と聞くのは、電話をしてきたのは次に何かがあると考えたのだろうけれど、話している方としては、こちらの気持ちが全くわかっていない気がしてしまう。次女がこんなことをブログに書いていた。

 《 家を出ようと思ったら家のカギがいつもの場所になくて必死に家中探しました。でも、やっぱりどこにもないんですよ。犯人はサミー(ダンナのこと)しかない!!っと決め付けて電話しました。「私のカギがないんだけど2つ持ってない?」「持ってないよ~でも確認してみる。ひょっとしたら持ってるかもぉ~」「早くして!もう出かけなきゃいけないんだから!!」「じゃー、そのままでかけていいよ」。そこで私は慌しく家を出て、ドアをバンって閉めたの。すると~な・な・なんと、カギが鍵穴にささっている。私のおっちょこちょいのおかげで、サミーは危うく犯人にさせられちゃうところでした。すぐにサミーに電話して謝りましたw 》

 どうも我が家の女たちは、同じ傾向にあるように思う。こうなったのは、相手が悪い。悪いのは相手で私ではない。物がなくなったりすると必ず、「どこかにやったんじゃない?」とカミさんは言うけれど、たいていの場合は思わぬところに仕舞い込んである。もちろん、私も同様なことはよくある。肝心なのは「ごめん」と素直に謝ることだ。その点では、次女はエライ。「でも、まてよ」と思うのは、確かにダンナにはすぐに自分の非を認めるようだけれども、私と話すときは絶対に認めないのはどうしてなのだろう。

 友だちは、女房と自分の関係は「セラピストと患者のようなもの」と言う。「まるでセラピストのように、私が心の奥にしまいこんで、人に知られたくない劣等感の部分を1年がかりでやさしく解きほぐしてくれた。私にとって何か、別の世界が広がっていくように感じられたものである。その延長線上に私たちの結婚があった」と言う。いいね、うらやましいね。初めはそうでも、次第に慣れてしまうと、お互いにわがままが出てしまうものだけれど、友だちは「セラピストと患者の関係は今なお継続している」と言う。今も、彼の心の奥のモヤモヤとしたものを彼のカミさんは治療し続けてくれているのだろう。うらやましい限りである。
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