goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

フト、思うもの

2014年11月18日 16時36分32秒 | Weblog

 大学で教えている先輩から時々電話が入る。彼が集めたコレクションは膨大で、確かに歴史を語るものとして価値があり、何らかの形で残すことは意味があると思う。彼は集めたコレクションを展示する博物館をつくりたいという。私は賛成した。彼から学芸員の資格を取って欲しいと言われ、通信教育を受けた。勉強を始めて気が付いた。ちょっとやそっとでは単位は取れない。猛烈に勉強しなければムリだ。ところが、義理で始めたからやり切るだけの情熱がない。

 1年、2年と続けて、とうとう3年目で諦めた。よく考えてみれば、そもそも私には彼が集めたコレクションに大して興味を抱いていない。見た限りでは大いに価値があるだろう、けれどもそれを私が学芸員となって守り続けていきたいというパトスも使命感もない。歴史的な価値を認めるも、誰もがそうであろう域から出るものでもない。「私ではムリです」と断っているが、なかなか通じなくて困っている。

 彼は私よりも先輩だから、もうそんなに悠長に構えていられないはずだが、もう10年近くも開所する場所を探している。「先は長くありませんよ」と言っても通じない。今日はよい天気だったから、ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替えをしていた。ところが午前10時を過ぎた頃から、風が強く吹くようになり、作業は続けられなくなった。急いで後片付けをしながら、フト、こんなことをいつまでやっているのだろうと思った。春にチューリップが咲き揃うのを楽しむ。そのために何も考えずに続けてきたけれど、いったい何の意味があるのだろう。

 先日、古い井戸に手押しポンプを取り付けて欲しいと言われて、武豊の現場まで見に行った。どのように設置するか、いろいろ図面を描いていた時、フト、いつまで続けるのだろうと思った。私と先輩たち3人しかいなくて、何ができるのだろう。私は左親指の付け根が痛むし、先輩のふたりも身体のあちこちが痛むと言う。残るもうひとりはまだ働いているから土日しか動けない。いろんなことが限界になってきている。手を広げずに、できるだけ整理していこうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エベレスト登山

2014年11月17日 18時14分48秒 | Weblog

 エベレスト登山に行って来た友人がいる。もちろん頂上まで行ったわけではなく、途中のベースキャンプまでのようだが、それでも5千5百メートルある。10歩進むと百メートルを走ったくらい疲れ、立ち止まってハァーハァーと息をしなければ足が出ない。高山病にかかることもなく、「本当によく歩いたと自分の足を褒めたいくらい」だそうだ。ベースキャンプを朝4時に出て、日の出を見るツアーに参加したけれど、それは言葉では表せない絶景であったようだ。

 「もう一度行きたい?」と聞かれて彼は、「もういいです」と首を横に振る。カトマンズの有名なホテルに泊まり、窓から見えるヒマラヤ山脈に圧倒され、エベレストを目指したトレッキングで見た光景に言い尽くせない美しさを感じた。行ってよかったと思っているが、もう一度となると考えてしまうと言う。まず体力が要る。体力を使わなければ、エベレストの神々しさを本当に味合うことが出来ないからだ。

 「それに」と、彼は言う。「エベレスト登山はポーター(荷物運び)がいなければ出来ない。彼らは重い荷物を背負って、ヒョイヒョイと私たちよりも速く歩く。その足元は私たちのような登山靴ではなく、スリッパのような粗末なもの。彼らが私たちの重い荷物を背負って歩いてくれるから、楽に登山できるけれど、それでいいのかと思ってしまう」。心根が優しい彼は、他人に自分の重い荷物を背負わせて、「ワァー、きれいだ」などとは言えないのだ。

 エベレスト登山が知られるようになったのはまだ60年ほどの歴史だ。2千から3千の高地で羊を飼って暮らしていたシェルパ族の人々が、ガイドと荷物運びを引き受けてくれて成功した。それから、シェルパはヒマラヤ登山の必須の存在になった。ところが登山が一般化してくると、ガイドの指示を無視する登山家がいたり、挙句に遭難という悲劇さえ生まれたが、シェルパには補償がなかった。今はかなり改善されたらしいが、遭難して亡くなる人が後を絶たない。

 ネパール政府は観光収入を増やすことに力を入れている。そのため随分たくさんの人々がヒマラヤに来ているが、ゴミや衛生問題なども生まれているし、シェルパが使い捨てにされることもある。「人間の欲に限界はないかも知れない」と彼は言う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽会

2014年11月16日 18時40分13秒 | Weblog

 ルーフバルコニーで土の入れ換えの作業をしていると、小学校でチャイムが鳴った。今日は日曜日なのに何だろうと思っていると、体育館からお母さんたちが出てきた。聞けば、音楽会だと言う。なるほど、何日だったか、やはり作業をしているとリコーダーの演奏が聞こえてきた。いや、リコーダーだけでなく子どもたちの合唱も聞こえた。見ると校庭の樹木の下で、子どもたちがリコーダーを演奏したり合唱したりしていた。何度も繰り返していたけれど、なかなかうまい演出だった。

 あれは今日の音楽会のために練習していたのだ。小学校でも中学校でも、音楽祭があってクラス対抗で発表が行なわれる。クラス毎に子どもたち自身が曲目を決め、指揮もピアノ伴奏も子どもたち自身が務める。小学校から行なっているためか、中学校の音楽会はかなりレベルが高い。子どもたちもクラス対抗を意識するので、クラスの一体感がよく出ている。素晴しい音楽教育だと思う。先生たちがどんな風に指導しているのか知らないが、中学では子どもたち自身に任されているとも聞く。

 私たちの頃には音楽祭などはなく、文化祭だった。それも学年単位の発表だったから、クラスから何人かが選ばれて演劇をしたり、紙芝居をしたりしていた。小学校の文化祭は覚えているのに、中学校ではどんな文化祭だったのか思い出せない。高校は、2年の後期は生徒会長だったので、文化祭の内容や会場のことで、生活指導部の先生と交渉したけれど、全く聞き入れてもらえなかった。何をどう要求したのか覚えていないのに、図書館の責任者で社会科の先生が賛成してくれたことだけを覚えている。

 生徒会活動と言っても、生徒の自主性などただの文言に過ぎず、生活指導部の監督下にあった。私たちの頃にも音楽会があったなら、合唱することの悦びを身を持って知ることができたのにと思う。中学校の音楽会を見たことがあるが、うまく表現できた子どもたちは皆一様に嬉しそうであったし、中には感激して泣き出す子もいた。こんな風にクラスが団結できることを知った子どもたちを羨ましくも思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日テレの内定取り消しに抗議の声は?

2014年11月15日 18時11分39秒 | Weblog

 来年4月に日本テレビにアナウンサーとして入社する内定を受けていた女子大生が、東京・銀座のクラブでアルバイトをしていたことを理由に内定を取り消された。安倍内閣は「女性の活躍」を掲げているのに、逆行する事件である。政府は全国の自治体に「男女共同参画事業」を進めるようにと指示しているが、今のところ男女共同参画事業を進める団体から、日本テレビに抗議の声が上がったと聞かない。全国のクラブで働く女性からも「職業に対する差別だ」という怒りの声も聞かない。

 クラブで働いたことが取り消しの理由なら、明らかに「職業の貴賎」を意識しているし、女性に対する蔑視でもある。わが市の女性団体から日本テレビに抗議したいと提案があれば、男女共同参画事業にかかわる者として賛同するつもりだ。差別の撤廃、同一労働を行いながら同一賃金でない現実、短時間労働の保障、男性女性・未婚既婚・年齢や階層を問わずみんなが協業しやすい社会にしていくことが男女共同参画事業がめざすものだと思う。具体的な事例に抗議の声を上げないで何をするのだろう。

 今日も政治家の政治資金の使い方が井戸掘り仲間の話題になっていて、「こんな連中ばかりいるから、官僚の言いなりになってしまう」と言う。麻生副総理の資金管理団体の収支報告書には公開が義務付けられている1万円以上の「会合費」が1年に217件ある。このうち最も多く支払ったのは会員制サロンで、8回で800万円である。どういう会合なのかと思ってしまう。政治家は政策の研究もせずでたらめに金を使い、官僚は予算を使い切ってさらに翌年は上積みすることを目指す。

 こんな国にしてしまっていいのか。政治家や官僚の不正をただし、社会のひずみやよどみに目をむけるべきマスコミが正義感や独自性をなくしてしまっている。大学に国家権力が入り込み、自治をないがしろにしている。企業も研究機関も目先の利益ばかりを追っている。そんな愚痴話で花が咲いていたら、「年寄りは先のことは考えず、今日一日を楽しく生きればいい」と物知りの先輩が結論を下す。なるほど、そうかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いたる者の悲しさ

2014年11月14日 18時08分58秒 | Weblog

 クラス会に来なかった友だちに、クラス会誌を郵送したが、昨日、「ありがとうね」と電話が入った。誰が不参加だったのか、どうして来なかったのか、来なかった友だちの家には行ったのか、彼女は矢継ぎ早に聞いてくる。不参加でもその理由を返信ハガキに書いてきた人もいるから、知る限りのことは伝えたけれど、来なかった友だちの家を訪ねることまで思い付かなかった。さらに彼女は、「クラス会誌はあなたが作ったの?」と聞くから、「ウン、ボロボロになっていたから印刷屋に頼んで作ってもらった」と答えると、「印刷屋に頼んだの?お金かかるじゃーない」と言う。

 私が復刻版を手作りしたと思っていたようだ。「いくらかかったの?」と聞くから、「1冊1千円というところかな」と答えると、「高いね!」と言う。「懇意にしている印刷屋だから安くやってくれたんだけど」と私。「お金持ちだね」とまで言うから、「別に金持ちじゃーないけど、みんなが喜んでくれたからいいさ」と煩わしくなって答える。「ふーん、変わらんねえ」と彼女。「3千円カンパしてくれた友だちもいるよ」とは言えなかった。「変わらん」とは昔からそうだという意味なのだろうが、そんなにお人好しでもない。

 だって、クラス会誌の復刻版を作ろうとは思ったけれど、クラス会に来なかった友だちを家に訪ねようとは考えなかった。私は自分本位のおせっかいなだけだ。ビックリするような話を聞いた。嫁の靴を隠してしまう義父がいるという。昔からちょっと寂しがり屋で、周りから持ち上げられることを求めた人だという。話題の中心にいないと気に食わないようで、大声で怒り出すこともあるという。それにしても、嫁の靴を隠すのはどうしてなのだろう。靴は女性を表すという心理学者もいるから、そうなると難しいことになる。

 人は老いれば老いるほど、素直な人になるように思っていたけれど、ますます自分本位の頑固者になっていくようだ。どうしたら、仏様のように安らかな人間になれるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修学旅行の小学生から

2014年11月13日 17時21分35秒 | Weblog

 風が強い。突然の強風に、目の前で土を混ぜる時に使っていた大きなプラスチックの箱が吹き飛ばされ、新しく土を入れた鉢に当たって鉢の方が割れた。重石の代わりにしていた作業台もひっくり返ってしまったが、こちらは鉢には当たらず助かった。常滑焼のしっかりした鉢なのに割れてしまい残念だ。風はなかなか治まらず、結局今日は何も作業が出来なかった。武豊で頼まれた手押しポンプの設置をどうやるか、設計図を描きながら一日中悩んだ。

 テレビでは安倍首相が衆議院の解散に踏み切るのは間違いないと報じていた。巧妙だなと思う。民主党の海江田党首は「やれるなら勝手にどうぞ。正々堂々戦います」と言っていたが、民主党に票は流れないだろう。野党は少数に分かれ、統一戦線も組めない。似たようなことを言っているが、どの政党にも魅力がない。自民党は議席を多少減らしても大負けすることはないだろうから、ここでの解散は絶妙の戦術だ。来年4月の統一選挙の候補者は一生懸命で応援するからその点も有利だ。

   なんだか面白くないねえ、先にも希望は見えないし。これは私が年老いているからなのか。九州へ旅行した時、宮島の厳島神社で修学旅行の小学生たちに出会った。確かホテルも一緒で、お土産を買う時間が短くて困っていた子どもたちだ。宮島のお土産屋さんを見て回っていた子どもたちが、「ねえ、ここ学生割引の店だよ。入ろう!」と声を上げていた。見ると確かに「学生割引します」の札が掲げてある。なかなか店側も考えている。感心して子どもたちを見ていると、ちょっと大人っぽい女の子が「あの、これもらっていただけませんか」と、A4判の紙を差し出した。

 『福津市にお・も・て・な・し』とある。「これはなあに?」と尋ねると、修学旅行で出会った人に彼女たちの街を知ってもらうものだと言う。津屋崎の祇園山笠や津屋崎人形、宮地嶽神社には3つの日本一があることなどを紹介した手書きのパンフである。ただ、行くだけでなく自分たちの街を宣伝してくる、こんな学習方法もあったのだと感心した。「やるねえー」と褒めると、「ありがとうございました」と頭を下げた。

 なかなかしっかりした子どもたちである。こうした子どもたちがいる限り、まだまだ捨てたものじゃーない。それにしてもこれからどうなるのかねえー、また心配になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核家族世代

2014年11月12日 18時53分18秒 | Weblog

 団塊世代向けのセミナーで、グループ別に雑談の時間があった。漠然と「雑談しましょう」と言っても出来ないので、初めての体験というテーマが与えられた。最初の発言者が結婚のことを話したので、以下それに倣って結婚にまつわる話が続いた。私もそうだけれど、団塊の世代も年齢になれば当然みんなするものだと思っていた。新婚旅行も当然の事業で、まだ海外ではなく国内が多かったようだ。名古屋空港から九州へ飛び立った飛行機は「全席が新婚カップルだった」と言う。一同そんな時代を懐かしく思った。

 それでどんな家庭というと、親との同居ではなく全員が核家族だった。地方から出てきて、家庭を持った人が多いから核家族にならざるを得なかったのだ。父親は猛烈社員でなかなか家に帰らないので、子育ては母親の役目になってしまう。母親も働いている共働きの家庭では、父親が付き合いを削って母親の手助けはするけれど、やはり母親への負担は大きい。それでも私たちの時代は、子どもの頃に誰がどんな風に働いていたのか、たとえば料理の仕方や家事の進め方など、手本となるものがいくつかあった。

 核家族で育った子どもたちは自分の親の姿しか見ていない。だから家庭のあり方、作業の分担や仕様も個々によって違いがあることに気が付かない。結婚してみて、その違いに戸惑うというか、自分が見て来たものが正しいと思い込んで押し付けてしまうようだ。それを反省すると、「子どもたちには何も言えない」ということになってしまう。それは仕方ないことだ。

 世代毎に新しい価値観や生活スタイルが生まれることを食い止めることなど出来ないし、古い世代は新しい世代を見守る以外ないだろう。「嫁は実家には行くのに、ウチには来ない」とか、「息子は嫁の実家にばかり行く」とか、文句や愚痴をこぼすけれど、年寄りは太っ腹になることだ。クヨクヨせずに、何でも受け入れる寛容さが大事だ。そんなことを話していたら、「息子を名乗った詐欺師に何百万円か取られた人もいるよ」と言い出す。困った世の中だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルトガル民族歌謡「ファド」を聴く

2014年11月11日 18時10分13秒 | Weblog

 明日は雨かも知れないので、今日は一日中ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替えをする。腰も手首も疲労困憊である。強い日差しもなく、強い風も吹かない天候は絶好の作業日である。ただひたすら小さなスコップで黙々と作業を繰り返す。こんな時は妄想の世界へと入り込んでいくしかない。いつだったか、40代の時の中学のクラス会で、偶々隣に座った旅館の女将に出世した女性に「女でも性欲はあるわよ」と言われたことを思い出した。

 色が白くて透き通るような肌の彼女は、先輩に口説かれて結婚し、旅館の女将になった。彼女が宴席で客に挨拶するのを聞いたけれど、それはもう堂々としていて、中学時代の大人しく引いたところがある人とは思えなかった。そればかりか、彼女は宝くじで1等が当たったことでも有名で、「ウチのクラスの出世頭だね」と言われている。細い身体、白い肌、大きな目、男たちが放っては置かないタイプの女性だが、子どもが父親の後を継いで不動産鑑定士になったと喜んでいた。

 2次会のカラオケでは、もっぱら意味深な不倫の歌を歌っていた友だちは、声まで小椋佳に似ている。あんな優しい声で囁くように歌われたら、女性も気持ちよいことだろう。彼のフェイスブックには女性ファンから誕生日祝いのメールが届いていた。それで妄想は、土曜日のファドコンサートへと進んでいく。ポルトガルへ旅した友だちが現地で聞いて虜になり、その魅力を知って欲しいと誘われた。ファドはポルトガルの民族歌謡で、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネに通じていると思う。

 コンサートは寺の本堂で行なわれ、150人くらいの人が聞き入った。歌い手はフラメンコのように黒いショールで肩を覆っているが、歌が進むに連れて痩せた肩がむき出しになる。鋭いが悲しげな瞳と出会う。大きな口、低い声、今にも泣き出しそうな表情、以前会ったことがあると思った。そうよ、あなたに会うためにこうしてファドを歌い続けているの。きっといつか、あなたが現れる、そう思って歌い続けてきたのよ。彼女がさらに泣きそうなになり、身体から声を絞り上げる。

 ファドは運命という意味のようだ。悲しい恋の歌が多い。もう限界だ。腰が痛い。グーンと背筋を伸ばし、作業を終る。同時に現実の時間となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分本位のおせっかい

2014年11月10日 18時00分48秒 | Weblog

 クラス会の出席者は18人だった。いつも参加するが、他に用事があって来られない人が6・7人いるわけで、中には身体の具合が悪いあるいは連れ合いの具合が悪いと言う人もいる。古希を迎えた、または迎える歳なのだから仕方がない。それに酒が飲めないからという人はともかく、医者に止められている人が3人もいて、3時間半の宴会中、ずぅーとウーロン茶を飲み続けていた。それでも参加してくれたことに感謝だが、なんだか気の毒な気がした。

 身体障害者1級は私ともうひとりだが、幸いなことにふたりとも元気で、付き合い程度の酒は飲める。2次会でカラオケに行ったが、友だちは相変わらず歌もうまい。2次会まで付き合ったメンバーはやはりみんな歌がうまいし、元気だ。クラス会は決して定員増になることはなく、減っていく一方だ。今年もクラス会の直前になって、次の幹事予定者が亡くなった。九州旅行の最中に電話がかかってきて相談されたが、クラス会としては何もせず、クラスの中で親しくしていた人が見送ることにし、幹事は昨日のクラス会でそう報告し黙祷した。

 私はクラス会誌『麦の歌』第1号と第3号の復刻版を持って出かけたが、宴席に持って行くのはよくなかった。せっかく先生が丹念に作り上げた会誌なのに、バックを持たない男たちは折り曲げて持ち歩く。宴席に忘れていく者がいないかと心配になる。幹事が最後に見て回り、忘れ物をチェックしてくれた。その幹事から今朝メールが来て、「こんなこと書いてたのかなー」とあった。54年も前のことだから忘れて当然だが、読み返してみればみんな立派な文章を書いている。幹事は研磨技術を持って、世界へ出かけているのだからたいしたものだ。

 ただ、欠席した友だちのことが気になる。幹事が「いつ死ぬか分からんのだから、クラス会には絶対出席するように」と檄を飛ばしていたが、その通りだ。古希まで生きてきたのだから、それ以上の贅沢は望まないが、一日一日が楽しくあれば自ずと充実したものになるはずだ。自分が楽しくもないのに、人のためなどは欺瞞だろう。欠席した友だちにクラス会誌『麦の歌』を郵送してやろう。どうも私はどこまでも自分本位のおせっかいのようだ。死ぬまで治らないなら、徹底してやるしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日はクラス会

2014年11月08日 11時51分25秒 | Weblog

 「貴様と俺とは同期の桜」は、戦時中の歌だから戦後育ちの私たちが知るはずはないが、高校を卒業しても本当はまだ未成年だから酒は飲めなかったのに、中学からの仲間と居酒屋へ出かけ、その時によく歌った。戦友と見事に散ろうと誓い合う歌だからこそ、これから社会人となる自分たちもまた戦友と思ったのだろう。あれから50年と少し経て、私たちも古希となった。

 明日は中学の時のクラス会が開かれる。案内文に幹事から「やっと計画が決まりました。絶対参加下さいね。宜しく!」と添え書きがあった。ご苦労様である。こうして誰かが呼びかけてくれることでクラス会は続いてきた。私たちのクラスは特別仲がよかったのか、担任がよかったのか、中学を卒業した翌月の4月に第1回のクラス会を、同じ年の8月に第2回、第3回を翌年の4月に開き、年に1回に近いペースで行なってきている。私が覚えているわけではなく、担任が作ってくれたクラス誌『麦の歌』にそう記録されている。

 明日のクラス会にこの『麦の歌』の第1号と第3号の復刻版を持って行くつもりだ。第1号は卒業した年の12月の発行で、そのあとがきに「どうしてもこの誌は、我々の仲間がこの地球をひとり残らず離れるまで、ぜひとも続けねばならない。さあー、暇を見つけて書きましょう。我々の歴史をつくりあげよう」と、私は書いている。情けないことに大学を卒業した昭和42年1月に第3号を発行して以来途絶えている。第1号のあとがきを書いた本人としてはとても責任を感じるので、ぜひ、復刻版をみんなに見せようと思う。

 そんなわけで、明日のブログは休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする