友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

母親の息子への愛は執着?

2016年11月19日 18時25分34秒 | Weblog

 友人が署名集めに訪ねてきた。毎年、この時期に行っている署名活動だが、「今回は昨年の倍集めるつもり」と言う。彼女の息子は私学の先生で、署名集めは息子のノルマ分である。「あの子は忙しくてなかなかできないので、せめて私が出来ることはやってやりたいの」と言う。母と息子は、母と娘の関係以上のものがあるようだ。

 息子が家を出てひとり暮らしを始めた時は、「ちゃんと起きただろうか」「ご飯は食べているのだろうか」「風邪が流行っているけど大丈夫だろうか」と、彼女は心配で仕方なかったそうだ。「大人だよ、自分のことは自分で出来る、そう信じていなさい」と言いたくなるが、母親はどこまでいっても母親のようで、「何しているか、困っていないか、心配で仕方ない」そうだ。

 母親も父親も子どもが大人になるまでは責任がある。大人というのは「普通に暮らせる人」のことで、そのためにいろいろと教えたり注意したりする。しかし、18歳を過ぎれば大人として議論することはあっても口出しはしない。ひとりの人間として認めているからだ。母親も子どもが18歳を過ぎれば大人として見ているはずなのだが、息子のことはダンナ以上に気になるようだ。

 「箱に入れてしまっておきたいくらい」と彼女は言う。「箱入り娘」という言葉はあるが、「箱入り息子」など聞いたことがないが、母親の息子への愛着というか執着は異常に強い。「息子のためなら何でもしてやりたいし、息子のためにしていると嬉しくなる」そうだ。私の知っている女性も社会人になった息子の仕事まで手伝っている。結婚もしたのに、悩んでいることはないかと心配をしている。

 そんなに息子を気にかけたら、息子の方が押し潰されてしまう。母親の気遣いで、逆にウツ病に追い込まれてしまう。放っておくのも親の務め。人は自力で生きていくし、生きていかなければならない。私も、もし母が生きていたなら、母親の溺愛に潰されてしまっていたのだろうか。怖いな。

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電通「鬼10訓」と「裏10訓」

2016年11月18日 17時29分17秒 | Weblog

 電通に勤めていた友だちから「鬼10則」をもらったことがある。私が地域新聞を始めた頃だと思う。「1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきものではない」から、「10.摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる」までの10カ条だ。地域新聞の発行は右も左も知らない土地で、頼れる人はひとりもいない、賭けだった。

 たまたま大学の後輩にこの土地の寺の娘さんがいたので、前の町長に引き合わせてもらい、その人の指示で隣の町の元町長の家を訪ね、新聞発行の計画を話した。どういう訳か私のことを気に入ってくれて、「発起人になりましょう。広告も出してあげる」と言ってくれた。実際、新聞発行の段階で息子さんである社長に会いに行くと、「そんな広告は出せない」と言われてしまった。

 新聞は記事と広告で成り立っている。割り付けは高校時代からやって来たから、どういう配置が見栄えがいいか、読者を引き付けるか、自信があった。記事を書くことも新聞記者になりたくて入社試験を受けたくらい自信があった。記事も割り付けも大新聞に負けない自信があった。問題は広告集めだ。「新聞の広告?知らない」と言われる。まだ発行されていないのだから当然である。認知されるまで、毎日毎日、企業や店を歩いて回った。

 「5.取り組んだら放すな、殺されても放すな」は当然だった。「2.仕事とは先手先手と働きかけていくことで、受け身でやるものではない」、「9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならない」と気が張っていた。それでも「この号で最後か」と何度も思った。その度に誰かに助けられた。だから恩返しをしなくてはとの思いが仕事に駆り立ててくれた。

 電通の若い女性社員が自殺した。右肩上がりの時代を生きてきた人は「頑張れば報われる。ダメなのは頑張りが足らないからだ」と決めつけてしまう。私が新聞作りをしていた時と今は大きく違う。電通には「裏10訓」もあるという。「仕事は自ら創るな」「大きな仕事と取り組むな」「難しい仕事を狙うな」「摩擦を怖れよ」と正反対な訓示だ。誰か彼女にこれを教えてあげていたら、もう少し気を楽にして働けただろうに。

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ボジョレー・ヌーヴォーと帰国の日

2016年11月17日 18時17分03秒 | Weblog

 ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日とあって、今朝の新聞の折り込みには何枚ものチラシが入っていた。私がボジョレー・ヌーヴォーを知ったのは地域新聞を発行していた時だった。知り合いになったレストランのオーナーが、この日は三重県の的矢湾で養殖したカキをドラム缶で焼き、ボジョレー・ヌーヴォーを飲むイベントを企画したので、毎年、付き合いで参加した。

 レモンを絞って生カキを食べることも出来たし、ドラム缶の上の網で焼かれたカキを食べることも出来た。生カキも焼きカキもとても美味しかった。ワインはさっぱりしていて酸味が強く、私の好みではなかったが、集まって来た人たちは知り合いが多く、子どもの頃のたき火を囲んだ祭りのような雰囲気だった。

 今日の昼、友だちのお姉さんはアメリカに帰っていった。一緒に山中温泉に行った誕生日会の仲間で見送った。お姉さんはひとり一人とハグして別れを惜しみ、「じゃー、行ってきます」と言う。みんなも「また、お帰りください」と声をかけていた。3週間近い滞在で、私たちはますますお姉さんのファンになってしまっていた。

 80歳とは思えない溌溂とした振る舞いと、控えめでありながらキチンと意見を言われる凛とした態度に魅了された。見ていると、姉はいつまでも姉である。弟のことが心配でならない様子だった。弟の嫁とのハグではふたりとも泣きながら長く抱き合っていた。きっと「弟のことよろしくお願いね」と言っていたのだろう。

 今晩はボジョレー・ヌーヴォーでも飲ませてくれるのかと聞くと、「カボチャ煮たから日本酒ね」と言う。まあ、何でもいいさ、食事が出来てお酒が飲めるだけで十分ではないか。チューリップを植えるための土作りは完了した。チューリップも届いたから土が馴染むまで少し待って、後は植えてやればいい。歳を重ねてきたせいか、ドキドキすることがなくなり、毎日が淡々と過ぎてしまっている。

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天草四郎の苦悩と死に方

2016年11月16日 18時11分46秒 | Weblog

 友だちの別荘での2日間はあっという間だった。子どもの頃に戻ってトランプに興じたり、秋の山道を散策したり、野趣豊かな露天風呂に入ったりもした。それでいて今朝は、劇団・新感線の『SHIROH』を観に出かけた。初の本格的ロック・ミュージカルとうたわれていたが、音楽はイマイチだった。聴かせる曲がなかったし、俳優も主演の中川晃教さん以外は歌がうまいとはいえなかった。

 『SHIROH』は江戸時代初期、「島原の乱」を指導したといわれる天草四郎の物語だ。脚本は中島かずき、演出はいのうえひでのり。初めの部分、つまり人物設定や筋立ての説明が長すぎて眠かった。侍の子で乱を指揮したといわれる四郎と、外国人とのハーフで歌がうまく人々の心をとらえた四郎と、四郎がふたりいたという設定は面白かった。天草四郎の内面をふたりが分ける形だった。

 重税とキリシタン弾圧とで苦しめられていた人々は救世主の出現を待ち望んでいた。その救世主に祭り上げられた侍の子・四郎は自分にはそんな力がないと悩んだ。歌うたいの四郎はなぜ神は人々に犠牲を求めるのかと悩んでいた。「島原の乱」は徳川幕府の重鎮、松平信綱が幕府に不満を持つ豊臣の残党とキリシタンを一掃するために仕組まれたとふたりの四郎は知る。歌うたいの四郎はそれが神の望みならと闘う決意をするが、侍の子の四郎は生き残る道を探ろうとする。

 どうやらこの芝居のテーマは「死に方」にあると気が付いた。どうにもならない運命を受け入れて全うするか、最後まで抵抗し続けるか、どの道を選ぶとしてもそれは自分の全てを賭けた戦いである。生きることはどうしてこんなにも苦しいのだろう。高齢者の運転事故が多発していると報じられている。自衛隊の「駆け付け警護」が閣議決定された。世の中の流れのなかで、私はどう生きていくのだろう。

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トランプ氏の勝利と「富の格差」の拡大

2016年11月13日 18時36分41秒 | Weblog

 疲れた。働き過ぎた。明日と明後日、友だちが「秋の信州に来ない!」と誘ってくれたので、彼女の別荘へ出かける。春や夏にはよく行ったが、秋に行くのは初めてじゃーないだろうか。春は新録が美しく、夏は活力に満ちた感じがするが、落ち葉を踏みしめて歩く秋はどことなく物悲しくて落ち着きがある。

 そんな訳だから、今朝早くからルーフバルコニーで鉢の土の入れ替える作業を続けた。今朝はサンデーモーニングに姜尚中さんが出演していたから、この番組が終ってからにしようかなどと思ったが、それでは完成しないだろうと気を取り直して振り切った。トランプ氏が大統領選挙でなぜ勝利したのか、評論家の皆さんがどう分析しているのか、興味はあったがどう考えようと事実は変わらないと思い、見るのを諦めた。

 フランスの経済学者・ピケティさんの分析だったと思うが、「アメリカでは上位1%の富裕層が42%の富を、上位10%なら80%の富を占めている」と述べていた。資本主義社会では「誰もが成功者になれる。スタートラインは同じだから結果は自己責任」と言われてきたが、現実は全く違う。「努力は報われる」が、資産家の子どもは努力しなくても「富」を得る。資産家の子どもは富を相続するから、一般庶民の子どもが「富の格差」を覆すことは永遠に出来ない。

 私は大学に入った時は両親がいなかったので授業料は免除され、奨学金も得ていたから苦労することもなく大学を卒業出来た。高校の教員に採用され、平均的な生活を手に入れることも出来た。友だちのように別荘までは持てなかったが、そこそこに生活してきた。しかし今、日本の社会も裕福な人々と働く場所もない人々との「格差」が広がっている。 「1%の富裕層が90%の国民を支配している」のは、19世紀末と同じと誰かが言っていた。その時は王政打倒の「革命」へ発展したが、今度はどうなるのだろう。

 明日と明後日はブログを休みます。

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全員出演の学習発表会に拍手した

2016年11月12日 18時22分27秒 | Weblog

 小1の孫娘の学習発表会に行って来た。この小学校では全学年が一緒に発表するのではなく、1年は午前9時からの50分間だった。体育館のステージ前7から8メートル空けてマットが横に2列並べてある。その後ろには年寄りのために平均台が並べてある。最近、学校行事には両親だけでなく私たちのようなジジババも来るので、学校はその収容に気を遣っているのだ。

 「日教組の平等主義が日本の教育をダメにした」と言う人がいるが、先生たちは組合の指示で教育をしているわけではなく、政府の方針の下で作られた学習指導要領に縛られて教育に携わっている。「運動会で1等を決めない」と問題にする人がいるが、学校は評価しない訳ではない。むしろ最近の教育モンスターと言われる親たちの学校への要望が大きい。先生たちは子どもたちを見ているから、能力に差があることは充分知っている。けれど、差は固定しているわけではなく、努力によって変わる。だから教育は大切なのだ。

 1年生の出し物は昔話『おむすびころりん』。3クラス全員が出演するから、確かに目立つ子を作らない「平等主義」が反映されているように見えるが、全員がそれぞれに演技する訳だから見に来た親たちは嬉しい。おむすびになってマットの上ででんぐり返りしたり、ネズミになって踊ったり、活躍する場面を考え指導してきた先生たちの苦労がよく分かる。見ている親たちも以前のように勝手に前に出てカメラを回す人はいなかった。ただ、男性でひとり、帽子を被ったままの人がいたが、後ろの人のためには取って欲しかった。

 終って喫茶店に入った。夫婦が「子どもがスマホに夢中で困った」と話していた。男性が「スマホを取り上げないとイカンな」と言うと、女性が「オマエもだわ」と言う。おいおい自分のダンナに「オマエ」はないだろう。悪ふざけで言ったとしても年寄りの私たちには気分のいいものではない。ダンナに向かって「オマエ」呼ばわりするのは「世代の差」としても、納得のいかないやり取りを聞いてしまい不愉快になった。

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トランプ氏が大統領だって!

2016年11月09日 18時05分45秒 | Weblog

   墓石の撤去作業がほぼ終わったので、初恋の人に電話した。「お昼、一緒に食べられない?」と聞くつもりだった。もう何年も会っていない。息子さんの大学進学で相談を受けた後、還暦を過ぎてからだと思うが、「彼女が所属している草木染のグループの作品展があるわよ」と同級生から連絡をもらって見に行った。その時は「やあ」「まあ」という程度の会話しかなかった。

 もう今日で見納めだろう、そう思って電話したのに男性が出たので、「ごめんなさい。間違えました」と言ってしまった。ご主人と私は小学校から高校まで同じで、よく知っているだけになぜか慌ててしまった。よほどよくない下心があったのだろう。彼女との昼食を諦め、初めの予定通り叔母の家に行き作業が終わったことを報告した。そして、同級生がやっている喫茶店に行って食事をした時、店のみんながアメリカ大統領選挙の話をしていた。

 「トランプが優勢だってね。何とかいう州を取った方が勝ちと言うらしいけどトランプが押さえたらしい」「だったら、トランプが大統領だね」と、巷の喫茶店で高齢者が話題にしている。その時はまさかそんなことにはならないだろう、そう思っていたが、家に帰ってテレビを見ると、「トランプ氏が45代大統領に、ヒラリー氏敗北を認める」と報じていた。「メキシコとの国境に壁を造る」とか「イスラム教徒の入国は許さない」とか、自由の国・アメリカとは思えない真反対な人物が大統領になれるはずがないと勝手に思い込んでいたのだ。

 アメリカの常識ある人々も新聞やテレビも、トランプ氏は大統領になるような人物ではないと表明していた。それでもトランプ氏が勝利したのはそれだけアメリカは病んでいるということだ。世界中で今、トランプ氏のように「強い国」が主張されてきている。私が撤去を決意した墓石は戦争で亡くなった叔父を弔ったものだ。墓地の立派な墓石にはみな戦死した人の名が刻まれている。70年も経つと墓を守る親族もいなくなるが‥。

 明日と明後日は旅行のためブログを休みます。

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几帳面だがズボラ

2016年11月08日 18時32分39秒 | Weblog

 雨が降ってくる前に鉢の土を入れ替えたい、そう思って朝早くから作業にかかった。毎年やっていて、毎回ボヤいているが、こんなに丁寧に残った根の残骸を取り除かなくてもいいのに、どうしてこんなにこだわるのかと自問してしまう。その自答はやらないよりやった方がいいのではというだけのことだ。

 好きな女性に出会ったら、いつもいつもその女性のことを思っている、そんな行動と似ている。結果からすれば無意味なことだったのかも知れないが、どうやらこれは私のクセなのだ。休むこともせずにやり続けたのは、明日は墓石の撤去のために故郷の寺に行かなければならないし、10日と11日はアメリカから帰国している友だちのお姉さんとその孫さんも一緒に、誕生日会のメンバーで山中温泉に行くからだ。

 予報通り午後から雨になった。仕方がないので友だちに来てもらい、山中温泉行きの計画を立てる。さらに、14日と15日は信州蓼科に別荘を持っている友だちの誘いで出かけるから何としても早めに土づくりを終えたい。ブログをアップする前に中学からの友だちのブログを見たら、私が2重にブログをアップしたことや写真が横位置にならないことで困っていることへの回答が掲載されていた。

 せっかく教えてくれたのに、時間がなくて挑戦していない。私はどちらか言えば几帳面な性格で、2重アップを恥ずかしく思っているのに、時間がないからと放っておけるのだから意外にズボラなのかも知れない。こだわることはバカのようにこだわるのに、「まっ、いいか」と諦めてしまうところもある。「極楽トンボね」と冷やかされたこともあるくらいだから、いい加減な性格なのかも知れない。

 ご先祖様には申し訳ないけれど、信心のないズボラな私だから決断できることなので、私の一存で墓石の撤去を行わせてもらう。「罰」はいただきます。

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合併は問題あり?

2016年11月07日 17時58分26秒 | Weblog

 「北名古屋市は名古屋市と合併するの?」。市長はそのつもりで市民4千人に合併の是非を問うアンケートを実施した。新聞報道によれば回収率は54.3%で、「賛成」が31%、「どちらかというと賛成」が25%だったので、賛成が56%と過半数を超えたので、市長は「市民の関心は高い」と満足そうだった。ちなみに「反対」と「どちらかいいと反対」は計23.3%だった。

 私は、自治体は10万人くらいまでがベストだと思っている。大きくなればサービスがよくなると思う人は多いし、市長も「このままでは大規模な災害が起きた場合に対処出来ない」と合併の理由を説明している。北名古屋市は平成の大合併で生まれたが、その成果と残った問題は何だったのかも検討することもなく、名古屋市との合併が唐突に提案されたのは不思議だ。名古屋市との合併で「市バスが来る」とか「高齢者パスがもらえる」とか言う人もいるが、実際に何がどう変わるのか明らかではない。

 私はどのようなアンケートだったのか知らないが、「将来に不安はありますか?」と問われれば、多くの人が「あります」と答えるだろう。「合併に賛成ですか」と問われれば、やはり何かいいことがあるような気がして「賛成」と答えるだろう。賛成という結果を意識したアンケートは必ず賛成に導くような設問になっているし、反対を求める場合でもそうなるように設問する。

 自治体規模を大きくしてしまうのは、行政の事業が膨らみ過ぎだからだと思う。本当に自治体がやらなければならない事業は何か、もっと検討すべきだろうが、スリムにすることは職員を減らすことなので手を出せないのだ。何でも自治体が背負わなくても広域で共同という政策もある。ただ、今度の合併問題は「曝け出したくない不祥事の隠蔽ではないか」と言う人もいるからキナ臭いものでもあるのだろうか。

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演奏に涙が流れた

2016年11月06日 17時42分14秒 | Weblog

 

 演奏会の最後はサックスが6人、トロンボーンが6人、ギターが2人、これに飛び入りでトランペットとピアノが加わり、ソロ演奏まで行われた。16人がひとつになって曲を奏でていく。どういう訳か涙が流れてしまった。きっとこれがジャズの醍醐味なのだろう。メロディーは単純だが、どんどん心がひとつになっていく。そういう力がジャズにはあるようだ。

 このジャズライブハウスは35年になるという。ライブが終って、棚に並べてあるたくさんのレコードを眺めていた時、私と同じ歳かもう少し歳上かも知れないオーナーらしき白髪の老人と目が合って、「懐かしいです」と声をかけた。知り合いという訳ではないが、見ただけで共感できる人のように思えた。演奏された曲目は私が青春時代に耳にしたものよりも新しいものが多かったので、「ジャズも変わりましたね」という気持ちからつい言葉を発してしまった。

 ジャズが黒人音楽から生まれたことは知っているが、どのようにして形が出来てきたのか詳しいことは知らない。けれども想像はできる。アメリカに連れて来られた黒人たちは寂しかったし、故郷が懐かしかったはずだ。声を出して歌うことは出来るし、物を叩けばリズムは作れる。軍隊などの行進ための楽隊は存在していたから、その楽器を使ったのかも知れない。

 ジャズは日本の民謡にも通じるものがあると感じた。演奏は掛け合いで、相手の音に合わせて行う「合いの手」で盛り上がっていく。最後の演奏の時、長女のダンナが飛び入りでピアノを弾いたけれど、全く事前に何も合わせていなかったのに見事な演奏だった。「凄い才能の持主ですね。やっぱりお父さんの血ですか」と私はダンナの父親を心から称えた。本当に素晴らしい演奏だった。来年1月に、孫である小1の彼の娘のピアノ発表会がある。ますます楽しみだ。

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