友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

穏やかな秋晴れの下で

2017年11月02日 17時31分46秒 | Weblog

  穏やかに晴れた秋の日、朝から夕方までルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業をした。腰も腕も手首も痛い。歳を取ると眼球のレンズを調節する機能が低下すると言うが、鉢の土から古い根を取り出したいのに、焦点が合わないのかぼんやりと見える。本当に良いことは一つもないと焦る。こういう時は妄想の世界に入り込むのが一番だ。

 学校の運動場から先生が「そうじゃーないだろう」と怒鳴る声が聞こえる。私が高校で美術の教師をしていた時、生徒から集めたスケッチブックの代金を机の引き出しに入れておいて盗まれた。美術の準備室は誰が訪ねてきてもよいように、カギはかけたことが無い。生徒はスケッチブックの代金を集金したことを知っている。私が準備室を離れていた時間を狙っていたのだろう。

 生徒指導部に申し出て生徒の持ち物を一斉に調べたら金は出てきたかも知れないが、全ては私の不注意だったので、生徒の中から犯人を探し出だす行為はしたくなかった。事情を知った先生仲間がカンパしてくれたが、犯人に金を盗む気持ちを抱かせてしまったことに悔いが残った。

 「美術の時間は息抜きでいい。一番楽しい。そう思ってもらえる授業だ」と生徒に話したが、すると一人が「評価はしないのですか?}と聞いてきた。「残念ながら評価はする」と答えると、「基準は何ですか?」と絡んできた。「そうだね。評価の基準は先生の目だ。だから、先生がAを付けても他の先生ならBかも知れないし、逆になるかも知れない。学校の評価と社会に出てからの評価はまた違う。世の中に絶対にこれというものはない。だから生きていくことは面白いし価値がある」。

 先生は先に生まれているから知恵だけじゃなく経験もある。「そうじゃーないだろう」と怒鳴るのであれば、どうするとよいかを教えなくては先生の役割を果たしていない。そういえば、懇親会の時、養護の先生を別室に連れ込もうとした長老の先生がいた。戦前に教育を受けた人の女性を見る目は私たちとは違っていた。もうとっくに亡くなっているだろうが、あの人は校長になったのだろうか。

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