友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

国際交流なのにすべてを受け入れないのはナゼなの

2017年11月23日 17時13分25秒 | Weblog

  健康・福祉・環境・ボランティアに関係する団体が集まって行う『ふれあいフェスタ』が開かれ、今年も国際交流協会のカンバッチを担当することになった。私が国際交流に携わっていた10年以上前は、全くの民間団体で、この街に住む外国人のために活動することが多かった。外国人に日本語を教えたり、外国の習慣や料理を日本人が学ぶイベントなど主に行ったが、やっぱり外国へ旅行がしたい人もいて、親善ツアーなども企画したこともあった。

 市が誕生し、行政の指導の下に国際交流協会が設立されたので、民間団体は解散したが、残るメンバーほとんどいなくて、全く新しい組織となり、活動の内容も大きく変わった。行政と密接になったが故に予算も潤沢になり、海外との交流も盛んになった。合併以前から行政が進めてきた韓国の都市やグアムへの訪問が主となり、華やかな活動が目を引く。ところが日韓の関係がギクシャクし、今ではグアムの比重が増えている。

 韓国との交流は、韓国の側から「慰安婦問題をどうとらえているか」と質問が寄せられる一方、日本の右翼からも「反日の韓国となぜ交流するのか」と嫌がらせを受け、縮小へ向かっている。私の市でも中学生の韓国訪問は無くなりそうだ。国の政治に関係なく、民間は堂々と交流すればいいと思うが、行政はそうできないのが現実だ。今日も、そんな話題がボランティア・スタッフの間で取り交わされていた。

 一人一人が友だちになれば理解も生まれるのに、国が絡むとどうして仲違いするような「排除」へと向かってしまうのだろう。日馬富士の暴行問題も、昨日の白鵬の取り組み後の態度も、なぜか「日本の伝統相撲に泥を塗る」という批判が多い。「日本へ稼ぎに来ているくせに」という外国人への差別意識に近いものもある。個人なら仲良くできるのに、集団となると途端に「排除」し合うのはどうしてなのだろう。

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