『漱石俳句かるた』解説
あ あまくさのうしろにさむきいりひかな
明治三一年、小天旅行の折の作。天草の島に日が沈むのを詠んだもの。「天草」という言葉は、キリシタン禁制、天草・島原の乱などのかなしい歴史を背負っている。そうしたイメージを「天草の後ろ」に込めて、冬の「寒き入日」と取り合わせることによって、冬の一情景をみごとに表現している。季語「寒し」=冬
い いかめしきもんをはいればそばのはな
明治三二年作。「学校」の前書がある句。旧制五高の表門は赤レンガの堂々とした立派な造りである。当時はその表門から校舎のある中門のあいだには畑があった。当時九州の最高学府である赤い門と蕎麦の白い花との対比がすばらしい。季語「蕎麦の花」=秋
う うみをみてじゅっぽにたらぬはたをうつ
明治三一年作。「花岡山」という前書がある。花岡山は熊本市の南西にある小山である。それに連なる大地の一角で、「十歩に足らぬ」ほどの小さな畑を打ちながら、時々仕事の手を休めて、海を見る農民のつつましく静かな暮らしぶりが描かれている。季語「畑打ち」=春
え ゑいやっとはえたたきけりしょせいべや
明治二九年作。「書生」とは他人の家に住みこみ、衣食住の世話になりながら勉学にはげむ学生のこと。のちに漱石自身五高生を書生として部屋に置くことになる。勉強の進みぐあいがうまく行かないいらだちを蠅に向けている様子が「ゑいやっと」によく表現されている。季語「蠅」=夏
お おんせんやみずなめらかにこぞのあか
明治三一年末、小天旅行の折の作。前書は「小天に春を迎へて」。白楽天の「温泉の水滑らかに凝脂を洗ふ」という句を踏まえている。『草枕』の主人公が「温泉という名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持ちになる」と言っていることからもわかる。小天温泉の質のよさと歳末のあわただしさから逃れてきてほっとした気持ちがよく出ている。季語「去年の垢」=冬
か かしこるひざのあたりやそぞろさむ
明治三二年作。「倫理講話」の前書がある。倫理科の授業は各学年各学級と合わせて週一回行われていた。「かしこまる膝」という表現によって、その授業が五高生にとっては厳しいものであったことがわかる。「かしこまる」と「そヾろ寒む」とが呼応して、倫理講話の緊張感が伝わってくる。季語「そヾろ寒む」=秋
き きしゃをおいてけむりはいゆくかれのかな
明治二九年作。阿蘇のような広大な景色を詠んだもの。見渡すかぎりの枯野のなか、石炭を焚いて黒い煙を棚引かせながら勢いよく走っている汽車の様子を「汽車を遂て這行」という擬人化して描いているところがおもしろい。季語「枯野」=冬
く くさやまにうまはなちけりあきのそら
明治三二年作。「戸下温泉」(阿蘇)という前書のある句。阿蘇の小高い草原に放牧されている馬を描いている。「放ちけり」には、旅人としての漱石の解放感が投影されている。澄み切った「秋の空」も、その解放感にさわやかさを添えている。季語「秋の空」=秋
け げがきするおうばくのそうなはそくひ
明治三〇年作。「字」という前書きがある。「夏書」とは、夏の期間修行するなかで写経を行うことである。「即非」という黄檗宗のお坊さんの名前がおもしろく、いかにも禅宗らしいところに興味を覚えて詠んだもの。漱石は禅宗に人並ならぬ関心を持っていて、最初の精神的な危機を迎えたとき参禅している。季語「夏書」=夏
こ こがらしやうみにゆうひをふきおとす
明治二九年、五高生を引率して天草・島原へ修学旅行したときの作。天草灘に沈む夕日を詠んだものと思われる。そう思うと、水平線しか見えない海原に夕日を吹き落とすくらいの「凩」が吹いても不思議ではない。広大でダイナミックな自然を描いてみごとである。季語「凩」=冬
さ さっとうつよあみのおとやはるのかわ
明治三一年作。「白川」という前書きがある。白川は熊本時代四番目の転居地である井川端町の家の近くを流れている川である。夜の網掛けの雰囲気を「颯と」という擬態語で表現している。白川の春ののどかな感じがよく出ている。季語「春の川」=春
し しぐるゝはへいけにつらしごかのしょう
明治二九年作。平家の落人が住んでいるという「五家荘」。郷土史に関する関心度をはかることのできる句である。源平合戦をよく詠んでいる漱石にとって、これも歴史句の一つ。都育ちの平家にとって、「時雨るゝ」五家の荘という秘境での生活はつらいだろうとおしはかっている。季語「時雨」=冬
す すみれほどなちいさきひとにうまれたし
明治三〇年作。転生への願いを美しくかれんな「菫」に託した句。のちに文豪と称される人の言葉としては意外に思われるが、漱石は決してはなやかで世慣れた人物は好きではなかった。「菫ほどの」より「菫ほどな」と小休止したほうが「菫」のやさしい感じがよく出てくる。季語「菫」=春
せ せんせいのそぜんをふくやあきのかぜ
明治三二年作。「教室」という前書のある句。「疎髯」とはまばらに生えている頬のひげのこと。漱石自身の授業風景かどうかわからないが、頬ひげに焦点をあてていることで、先生の日頃の厳しい表情が見えてくる。そして、「疎髯を吹く」としたところが、厳しいながらもちょっとこっけいな教師の授業風景が浮かび上がってくる。季語「秋の風」=秋
そ そりばしのちいさくみゆるふようかな
明治二九年、鏡子夫人を伴った北九州の旅の句。前書は「太宰府天神」。心字池に架かっている遠くの朱色の「反橋」と大きな花弁を持つ優雅な「芙蓉」との取り合わせが太宰府天満宮の美しくおごそかな境内の様子を表している。季語「芙蓉」=秋
た だいじじのさんもんながきあおたかな
明治二九年作。熊本市南部にある曹洞宗の古刹大慈禅寺。あたり一面の青田のなかに参道の長い「門」に焦点をあてることによって、「大慈寺」のたたずまいが見えてくる。「青田」の青と「山門」の色との対比も、「大慈寺」の風格のあるさまをよく表現している。季語「青田」=春
ち ちくごじやまるいやまふくはるのかぜ
明治三〇年、実家久留米に帰っていた親友菅虎雄を見舞い、高良山から発心公園の桜を見学した折の作。「丸い山」はやわらかな「春の風」が吹くのにふわしく、この二語によって、山といってもそう高くない山が想像されて、筑後平野の風景の特色がみごとにとらえられている。季語「春の風」=春
つ つきにいくそうせきつまをわすれたり
明治三〇年作。「妻を遺して独り肥後に下る」という前書によれば、「月に行く」は月の夜に熊本にもどるということである。月のあまりの美しさに妻を忘れてしまったという意味である。実際は流産した妻鏡子のことが気になっている句という。この逆説的な表現に、漱石の男のはにかみといきあるさまが見られる。季語「月」=秋
て てらまちやどべいのすきのぼけのはな
明治三二年作。「寺町」という語によって、「土塀」が昔ながらの立派なものであることがわかる。その隙間から木瓜の花が顔をのぞかせているのを詠んだもの。「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」の句のように、木瓜に拙を守る自分を重ねた漱石の目には、「寺町」・「土塀」の古風さにひきつけられたのであろう。季語「木瓜の花」=春
と どっしりとしりをすえたるかぼちゃかな
明治二九年作。前書「承露盤」より。あらゆる修辞法を使って「南瓜」の特徴が描かれている。まず「どつしりと」という擬態語によって南瓜の大きさ・量感が表現され、「尻を据えたる」という擬人法は南瓜の安定感をよく表している。「尻」の一語はこの句のこっけい感をかもし出している。季語「南瓜」=秋
な ながきひやあくびうつしてわかれゆく
明治二九年作。「松山客中虚子に別れて」という前書にあるとおり、五高に赴任する途中、高浜虚子との別れに際して詠まれたものである。「永き日」と「あくび」との取り合わせによって、春の日永ののどかさが感じられ、「あくびうつして」には二人に気安い関係がそれとなく表現されている。季語「永き日」=春
に にりくだるふもとのむらやくものみね
明治二九年作。「雲の峰」とは入道雲のこと。二里下ったところにある麓の小さな村を見下ろしているのを詠んだもの。その山の上には大きな「雲の峰」がそびえている。大と小との対比がおもしろく、「雲の峰」が立派であればあるほど「麓の村」のつましさがいっそう感じられる。秘境の生活を思いやった句。季語「雲の峰」=夏
ぬ ぬかるみのなおしずかなりはるのくれ
明治三〇年作。「泥海」はぬかるみと読むのはあて字。「泥海」という字面から有明のような海の干潟のことを詠んだものと推測される。「春の暮れ」という言葉によって、鉛色の海面の静けさと「猶」といったことで「泥海」の静けさとが重なって、春の夕暮れの海の静かな雰囲気がひしひしと伝わってくる。季語「春の暮れ」=春
ね ねぎのこのえぼしつけたりふじのはな
明治三一年作。前書は「藤崎八幡」。藤崎八幡宮は井川端町にあり、軍神としても有名である。祢宜とは神主のもとで働く神職。その子供が子供にとっては大きめの「烏帽子」をかぶっているというのである。藤棚の下を通って行く子供の父の職業にふさわしいみやびやかさが表された句である。季語「藤棚」=春
の のぎくいちりんてちょうのなかにはさみけり
明治三二年、阿蘇の旅の作三四句中の一つ。旅の途中、手折った野菊を句帳かなにかの手帳のあいだにしおりのように差し挟んだという。風流心を楽しむ若き日の漱石の姿が浮かび上がってくる。季語「野菊」=秋
は はるのあめなべとかまとをはこびけり
明治三三年、「北千反畑に転居」という前書にあるとおり、六度目の引っ越しをすることになる。このあたりは藤崎宮に近く、今も静かな住宅地である。「鍋と釜」とは家財道具一切を指しているが、「鍋と釜を運びけり」といったところに、引っ越しの身軽さと引っ越し慣れした気分とが感じられる。季語「春の雨」=春
ひ ひとにししつるにうまれてさえかえる
明治三〇年作。「冴返る」とは、ゆるんだ寒さががぶりかえすという意味。寒気の中にすくっと立っている鶴に、生まれ変わった人間の姿を見ている。漱石にとって「鶴」は孤高の象徴であるという。「冴返る」という季語と鶴への転生という言葉とがよく響き合い、純粋な美へのあこがれが読み取れる。季語「冴え返る」=春
ふ ふるいよせてしらうおくずれんばかりなり
明治三〇年作。半透明の「白魚」のかよわさと美しさを詠んだものである。四ッ手網などで掬い取られた「白魚」に焦点をあてて、一瞬の景を「崩れん許り」という比喩によって的確に表現している。季語「白魚」=春
へ へやずみのぼうつかいおるつきよかな
明治三二年作。「部屋住」とは書生のこと。経済的に苦しい学生は他人の家に住み込み、家の雑用をするかわりに勉学に励むことができた。漱石も書生を抱えていて、その一人を詠んだもの。月の美しい夜に勉強にうんだ「部屋住」が「棒」(竹刀)を振って、体をほぐし、鍛えている情景が思い浮かべられる。季語「月夜」=秋
ほ ぼけさくやそうせきせつをまもるべく
明治三〇年作。『草枕』の主人公に「世間には拙を守るという人がいる。この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい」と言わせている。頑固者の意である「漱石」という号にしても、「拙を守る」という言葉にしても、決して上手な生き方を望まない人生態度を表明したものである。季語「木瓜の花」=春
ま まくらべやほしわかれんとするあした
明治二九年作。「内君の病を看護して」という前書によると、「枕辺」で看病して夜明けを向かえたが、その七月八日の朝は年に一度の逢瀬を楽しんだ牽牛と織女が別れて行く「星別れ」であったというのである。妻の病気に対する不安と妻への思いを込めている句である。季語「星別れ」=秋
み みずぜめのしろおちんとすさつきあめ
明治三〇年作。歴史上のできごとを句にするのが好きであった漱石が水攻めした豊臣秀吉の故事を踏まえて詠んだものである。大洪水を起こしそうな梅雨のなかの熊本城から実際にヒントを得たのかも知れない。「城落ちんとす」と比喩することによって、「五月雨」の量感をダイナミックに描き出している。季語「五月雨」=夏
む むしうりのあきをさまざまになかせけり
明治三〇年、一時上京した折の作。「虫売」が虫籠に入れている多くの虫がいろいろな鳴き声を響かせているのを詠んだもの。虫がそれぞれその虫特有の鳴き方をしているのを「秋をさま 鳴かせけり」ととらえているところがおもしろい。季語「虫売り」=秋
め めいげつやじゅうさんえんのいえにすむ
明治二九年、三度目に移り住んだ合羽町(現坪井)での作。「十三円」とは家賃のことであるが、新築でありながら粗雑な普請であったことに対しての不満が込められている。しかし、「名月」という季語によって、その不満をよそに自然に親しもうとする風流心が表されている。季語「名月」=秋
も もちをきるほうちょうにぶしふるごよみ
明治二九年作。日常生活の一端を切り取って詠んだもの。のし餅を切る感触を「鈍し」と表現したことによって、日数の少なくなった暦という意の「古暦」とともに、暮れの生活のあわただしくもけだるい雰囲気をうまく伝えている。季語「古暦」=冬
や やすやすとなまこのごときこをうめり
明治三二年、長女筆子が生まれたときの印象の句である。「海鼠の如き」には赤ん坊の得体の知れない姿がよくとらえられている。「安々と」という言葉はむろんのこと、父親として初産の安心感を詠んだものと思われる。季語「海鼠」=冬
ゆ ゆけどはぎゆけどすすきのはらひろし
明治三二年作。「阿蘇の山中にて道を失ひ終日あらぬ方にさまよふ」という前書がある句。このときの体験が「地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみ」という『二百十日』の作品に生かされている。萩と薄だけが生い茂っている草原のひろがりと次々にわき起こる不安とが「行けど」のくり返しで表現されている。季語「萩・薄」=秋
よ ようやくにまたおきあがるふぶきかな
明治三二年の正月、宇佐・耶馬渓・日田の約一週間の旅をし、前書によれば「峠を下る時馬に蹴られて雪の中に倒れければ」ということが起こった折の作であるという。日田に下る大石峠でのできごとであった。吹雪のなか起き上がった人物に焦点をあてて、白黒の無声映画の一場面を思わせる印象鮮明な句である。季語「吹雪」=冬
ら らちもなくぜんしこえたりころもがえ
明治三〇年作。「埒もなく」はだらしくなくという意味であるが、決して悪い意味ではなく、軽快な夏の服装になった禅宗の格の高いお坊さんの、いかにも高僧らしい様子を表したものである。当時の禅ブームのさなか禅宗への関心の深さを知ることのできる句である。季語「更衣」=夏
り りょうじょうのくんしとかたるよさむかな
明治三〇年作。「梁上の君子」とは中国の故事成語で、ドロボーの意味であるが、ここではそれから転じてネズミのことである。屋根裏でガサゴソと音を立てているネズミに向かって語り掛けている人のさまは、「夜寒」の季語とあいまって、わびしくもあり、こっけいでもある。季語「夜寒」=秋
る るりいろのそらをひかえておかのうめ
明治三二年作。前書「梅花百五句」の一句。「瑠璃色」とは紫がかった紺色のことであり、青色と同意である。よく晴れ渡った青い空のもと、梅の白い花びらがいっそう際立って見えるという色の対照を表現している。見晴らしのよい「岡の梅」の気品とすがすがしさを詠んだものである。季語「梅」=春
れ れっしけんをましてかげろうむらむらとたつ
明治三〇年作。浅草観音の境内の様子を「子供の時から常に陽炎っていた」と『彼岸過迄』で書いていることや、浅草観音の実在の大道芸人を詠んでいる「抜くは長井兵助の太刀春の風」の句があることから、この句もその大道芸人を描いているのかも知れない。大道芸人扮する「列士」に磨かれた「剣」から陽炎がたっている様子を表現している。季語「陽炎」=春
ろ ろうたんのうときみみほるこたつかな
明治三二年作。「老 」は老子のことである。しかし、ここでは老人一般のイメージとして受け取ってよい。耳が遠く、感じのいい老人が耳の垢を取っている姿にひかれて作った句である。冬の一時をくつろいでいる雰囲気が「火燵」という季語によく現れている。「老 」という言葉には、その老人をうやまう気持ちが表されている。季語「火燵」=冬
わ わくからにながるるからにはるのみず
明治三一年作。「水前寺」という前書のある句。水前寺成趣園の池は、阿蘇の伏流水である清水が湧き出ている。つぎつぎに湧いて流れる水のさまを「湧くからに流るゝからに」と的確に表現している。特に「からに」のくり返しが湧水のリズムを捉えている。「春の水」=春
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