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資本に対抗する運動は、そのような資本主義に対する理解なしにはありえません。たとえば、社会運動の中核は、労働者ではなく、消費者や市民が中心になった、という人たちがいます。しかし、何らかのかたちで賃労働に従事しないような消費者や市民がいるでしょうか。消費者とは、プロレタリアが流通の場においてあらわれる姿なのです。であれば、消費者の運動はまさにプロレタリアの運動であり、またそのようなものとしてなされるべきです。
資本は生産過程におけるプロレタリアを規制することができるし、積極的に協力させることもできます。これまで生産過程におけるプロレタリアの闘争として(政治的)ストライキが提唱されてきましたが、それはいつも失敗してきました。しかし、流通過程において資本はプロレタリアを強制することはできません。働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力はないからです。流通過程におけるプロレタリアの闘争とは、いわばボイコットです。そして、そのような非暴力的で合法的な闘争に対して、資本は対抗できないのです。
(ken) プロレタリアの運動論について、従来の生産過程(生産過程の延長としての交通・輸送を含む)におけるストライキが、必ずしも「いつも失敗してきた」とは言えません。組織力・団結力・闘争力の維持・強化という点では、最も有力な労働者の権利なのです。柄谷さんは「暴力的手段」の限界をふまえ、非暴力的で合法的な「ボイコット(不買運動)」こそ、資本はまったく対抗できないのだと述べており、その点では説得性がありますね。(つづく)