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『世界共和国へ』 (その33)

2016年11月29日 | O60→70(オーバー70歳)
【166ページ】
生きている者は子孫のことを考えて行動し、また、子孫は彼らのために配慮してくれた先祖に感謝する。農業共同体の衰退とともに、自分の存在を先祖と子孫の間におくことで得られるこのような永続性の観念も滅びます。普遍宗教は個人の魂を永遠化するでしょうが、共同体のこうした永続性を回復しません。そして、それを想像的に回復するのがネーションなのです。したがって、「国民」とは、現にいる者たちだけでなく過去と未来の成員を含むものです。
ネーションにはこのようにメタフィジカルな基盤があります。しかし、それは、ネーションが経済や政治と違った、何か精神的レベルの問題だということを意味するのではありません。たんにそれは、ネーションが商品経済とは違ったタイプの交換、すなわち、互酬的交換に根ざすということを意味するのです。ネーションとは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復にほかなりません。

【167ページ】
ネーションが成立するのと、哲学史において想像力が、感性と悟性(知性)を媒介するような地位におかれるのとは同じ時期です。それまでの哲学史において、感性はいつも知性の下位におかれていましたが、想像力も、知覚の擬似的な再現能力、あるいは恣意的な空想能力として低く見られていました。ところが、この時期はじめて、カントが想像力を、感性と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取りする創造的能力として見いだしたのです。

(ken) ここでは、私自身が過ごした農村での体験から「農業共同体の衰退」に関する記述が印象的でした。そして、《ネーションとは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復》であるというのは、日本のお祭りが今なお続いている理由ではないか、と納得することができました。また167ページの想像力については、現在でも「想像力が大事である」といろいろな場でいわれています。そこで、カントが想像力について「感性」と「悟性」を媒介するものと位置づけていたことは、なるほどと納得させられました。(つづく)
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たい焼きを食べた後の一服はうまい!

2016年11月29日 | ここで一服・水元正介
▶︎横浜駅西口には、くりこ庵というたい焼き屋さんがあります。いつも数人以上並んでいるのですが、先日はどうしても食べたくて、高校生の集団の後に並び、あんことクリームを1個ずつ買い、一つはその場で食べました。
▶︎その後、喫煙所に立ち寄りメビウスで一服してから帰宅しました。残ったクリームは晩酌を飲みながら、カミさんと半分ずつ食べました。尻尾好きのカミさんが尻尾の部分を食べ、同じく尻尾好きの私ですが、それなりに頭の部分も好きなので、美味しくいただきました。
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