引越しにそなえ、メジャーでタンスの寸法を計測してみました。
【63ページ】
戦前になされた「日本資本主義論争」あるいは「封建論争」においては、「アジア的」と「封建的」の区別がなかった。日本もロシアも中国も、要するに、前資本主義社会はすべて「封建的」と呼ばれていたのです。
《表2》 社会構成体と亜周辺
○封建的 亜周辺(西ヨーロッパ) ➡︎絶対主義国家
○古典古代的 亜周辺(ギリシア・ローマ) ➡︎東ローマ帝国(アジア的国家)
○アジア的 中核(エジプト・インド・中国)
○封建的 亜周辺(日本) ➡︎絶対主義国家
【66〜67ページ】
商品交換が成り立つのは略取がなされない限りにおいてです。商品交換は自由な合意にもとづく交換であり、その原理は略取、すなわち国家を生み出す交換原理とは全く別のものです。しかし、それは国家による支配の下でしか成立しない。なぜなら、暴力で独占することによって他の暴力を禁じる国家と法がなければ、略取が生じるため、商品交換は成り立たないからです。実際、アジア的国家の場合、遠隔地交易を行ったのは国家自身であり、また商業的な都市は国家に直属するものでした。
商品交換は、古来、共同体と共同体の間ではどこでも発生したにもかかわらず、そして、実際には強い力を持ったにもかかわらず、共同体と国家、いいかえれば、交換様式AとBの下で従属的・補足的な地位にとどまりました。国家が商品交換の原理を取り込み、また、共同体が商品交換の原理によって解体されるようになるのは、近代国家と市場経済が確立してのちのことです。
(ken) 世界史をひも解けば、アメリカはもとより、ギリシャ・ローマ、西ヨーロッパ、さらには日本までもが、中核国家(エジプト・インド・中国)からすれば「亜周辺」に位置づけられることを知り、「なるほど、そういうことか!」と勉強になりました。現在の経済力や国家規模からだけ判断するのではなく、古典古代を含めて未来を思考する必要があります。国家も万物と考えると、まさに「万物は流転する」わけですから、世界情勢の変化に一喜一憂することなく生きていくことが大切ですね。
戦前になされた「日本資本主義論争」あるいは「封建論争」においては、「アジア的」と「封建的」の区別がなかった。日本もロシアも中国も、要するに、前資本主義社会はすべて「封建的」と呼ばれていたのです。
《表2》 社会構成体と亜周辺
○封建的 亜周辺(西ヨーロッパ) ➡︎絶対主義国家
○古典古代的 亜周辺(ギリシア・ローマ) ➡︎東ローマ帝国(アジア的国家)
○アジア的 中核(エジプト・インド・中国)
○封建的 亜周辺(日本) ➡︎絶対主義国家
【66〜67ページ】
商品交換が成り立つのは略取がなされない限りにおいてです。商品交換は自由な合意にもとづく交換であり、その原理は略取、すなわち国家を生み出す交換原理とは全く別のものです。しかし、それは国家による支配の下でしか成立しない。なぜなら、暴力で独占することによって他の暴力を禁じる国家と法がなければ、略取が生じるため、商品交換は成り立たないからです。実際、アジア的国家の場合、遠隔地交易を行ったのは国家自身であり、また商業的な都市は国家に直属するものでした。
商品交換は、古来、共同体と共同体の間ではどこでも発生したにもかかわらず、そして、実際には強い力を持ったにもかかわらず、共同体と国家、いいかえれば、交換様式AとBの下で従属的・補足的な地位にとどまりました。国家が商品交換の原理を取り込み、また、共同体が商品交換の原理によって解体されるようになるのは、近代国家と市場経済が確立してのちのことです。
(ken) 世界史をひも解けば、アメリカはもとより、ギリシャ・ローマ、西ヨーロッパ、さらには日本までもが、中核国家(エジプト・インド・中国)からすれば「亜周辺」に位置づけられることを知り、「なるほど、そういうことか!」と勉強になりました。現在の経済力や国家規模からだけ判断するのではなく、古典古代を含めて未来を思考する必要があります。国家も万物と考えると、まさに「万物は流転する」わけですから、世界情勢の変化に一喜一憂することなく生きていくことが大切ですね。