【117ページ】
ホッブスが『レヴァイアサン』を書いたのは、ピユーリタン革命の最中においてです。イギリスのピューリタン革命では、1649年に絶対王権が倒されたあと、クロムウェルの独裁体制があり、さらにそれが倒されて1660年に王政復古となり、1688年にいわゆる名誉革命があって、立憲君主制が確立しました。ロックの社会契約論はそれを根拠づけるものです。
【118ページ】
ロックあるいは市民革命以後の思想家は、個々人を主体(subject)と見なし、そこから出発します。しかし、ホッブスの考えでは、「主権者以外のすべての者は彼の《国民》subjectである」。つまり、国民という主体は、絶対主義王権に服従する臣下として形成されたのです。だから、ホッブスは個々人から出発するアトミズムとは無縁です。ホッブスは、主権に対する服従がそれによって安寧を獲得する交換であることを見ぬいた。いいかえれば、彼は一見して交換とは見えないようなものが、実は「交換」であることを見ぬいたのです。
(ken) ロックの社会契約論、そういえば高校の世界史で習いました。一度勉強したぐらいでは覚えていることさえ危うく、それだけ知識を身につけるには努力が必要であることを痛感させられました。ホッブスは交換とは見えないようなものが、実は「交換」であることを見ぬき、名著『社会契約論』として後世に残したのですね。(つづく)
ホッブスが『レヴァイアサン』を書いたのは、ピユーリタン革命の最中においてです。イギリスのピューリタン革命では、1649年に絶対王権が倒されたあと、クロムウェルの独裁体制があり、さらにそれが倒されて1660年に王政復古となり、1688年にいわゆる名誉革命があって、立憲君主制が確立しました。ロックの社会契約論はそれを根拠づけるものです。
【118ページ】
ロックあるいは市民革命以後の思想家は、個々人を主体(subject)と見なし、そこから出発します。しかし、ホッブスの考えでは、「主権者以外のすべての者は彼の《国民》subjectである」。つまり、国民という主体は、絶対主義王権に服従する臣下として形成されたのです。だから、ホッブスは個々人から出発するアトミズムとは無縁です。ホッブスは、主権に対する服従がそれによって安寧を獲得する交換であることを見ぬいた。いいかえれば、彼は一見して交換とは見えないようなものが、実は「交換」であることを見ぬいたのです。
(ken) ロックの社会契約論、そういえば高校の世界史で習いました。一度勉強したぐらいでは覚えていることさえ危うく、それだけ知識を身につけるには努力が必要であることを痛感させられました。ホッブスは交換とは見えないようなものが、実は「交換」であることを見ぬき、名著『社会契約論』として後世に残したのですね。(つづく)