横浜駅西口地下1階「あふり」の醤油ラーメンです。昨夜、待ち合わせ時間が1時間延びたので、ラーメンを食べました。途中、お酒のせいか眠たくなって、ケータイを見ていたのですが居眠りしたらしく、さらにライン電話の宛先に指が触れてしまったみたいです。電話がなって目を覚まし、「やあやあ、ところで何?」と聞いたら、「いや、電話がきたから」と前橋在住の友人が言いました。こんな間違いと、ラーメンを食べながら居眠りしたのも初めてです。しかし、その結果、友人とおしゃべりができて楽しかったです。
【102~103ページ】
カントは、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率を、普遍的な道徳法則として見いだしました。「目的として扱う」とは、自由な存在として扱うということです。自分が自由な存在であることが、他者を手段にしてしまうことであってはならない。すなわち、カントが普遍的な道徳法則として見いだしたのは、まさに自由の相互性なのです。そして、この場合、「他者」は、生きている者だけではなく、死者およびまだ生まれていない未来の他者をふくみます。たとえば、私たちが環境を破壊した上で経済的繁栄を獲得する場合、それは未来の他者を犠牲にすること、つまり、たんに「手段」として扱うことになります。(中略)
カント自身がそうしたように、宗教を批判してもよいし、また批判すべきですが、そのことが、宗教によって開示された倫理=交換様式を否定してしまうことになってはなりません。
【108ページ】主権も市場も一国ではない
第一に、国家に関していえば、西ヨーロッパにおける絶対主義国家(主権者)の誕生を、他の国との関係あるいは「帝国」の中での諸関係を無視して考えることはできません。というのも、「主権」とは、一国だけで存在するものではなく、他の国家の承認によって存在するものだからです。それはまた、他国が主権国家でないならば、支配してよいということを含意する。(中略)
第二に、資本主義的市場経済も一国だけで考えることはできません。それは「世界経済」としてのみ成立するのです。重要なのは、いったん世界市場=世界経済が成立すると、誰もその外部にあることはできないということです。世界各地の国家や社会構成体が世界経済の中に組み込まれます。このため、西ヨーロッパの一部において生じた事態(産業資本主義)が、その他の世界帝国におよぶことになるのです。
(ken) 人間関係における「自由の相互性」は、私自身63歳になった今も悩ましい課題のような気がしています。常日頃思い出すのは、49歳で他界した友人の口癖の1つであった「来る者は拒まず、去る者は追わず」です。時には裏切られ、誠意ある対応も報われなかったことがあったことでしょう。それでも彼は、短い生涯でしたがそれを貫きました。柄谷さんが、たびたび登場するカントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」には、死者および未来の他者を含まれていることを理解し、自分としても「自由の相互性」に心がけていきたいと思います。108ページの「主権も市場も一国ではない」という観点は重要ですね。(つづく)
カントは、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率を、普遍的な道徳法則として見いだしました。「目的として扱う」とは、自由な存在として扱うということです。自分が自由な存在であることが、他者を手段にしてしまうことであってはならない。すなわち、カントが普遍的な道徳法則として見いだしたのは、まさに自由の相互性なのです。そして、この場合、「他者」は、生きている者だけではなく、死者およびまだ生まれていない未来の他者をふくみます。たとえば、私たちが環境を破壊した上で経済的繁栄を獲得する場合、それは未来の他者を犠牲にすること、つまり、たんに「手段」として扱うことになります。(中略)
カント自身がそうしたように、宗教を批判してもよいし、また批判すべきですが、そのことが、宗教によって開示された倫理=交換様式を否定してしまうことになってはなりません。
【108ページ】主権も市場も一国ではない
第一に、国家に関していえば、西ヨーロッパにおける絶対主義国家(主権者)の誕生を、他の国との関係あるいは「帝国」の中での諸関係を無視して考えることはできません。というのも、「主権」とは、一国だけで存在するものではなく、他の国家の承認によって存在するものだからです。それはまた、他国が主権国家でないならば、支配してよいということを含意する。(中略)
第二に、資本主義的市場経済も一国だけで考えることはできません。それは「世界経済」としてのみ成立するのです。重要なのは、いったん世界市場=世界経済が成立すると、誰もその外部にあることはできないということです。世界各地の国家や社会構成体が世界経済の中に組み込まれます。このため、西ヨーロッパの一部において生じた事態(産業資本主義)が、その他の世界帝国におよぶことになるのです。
(ken) 人間関係における「自由の相互性」は、私自身63歳になった今も悩ましい課題のような気がしています。常日頃思い出すのは、49歳で他界した友人の口癖の1つであった「来る者は拒まず、去る者は追わず」です。時には裏切られ、誠意ある対応も報われなかったことがあったことでしょう。それでも彼は、短い生涯でしたがそれを貫きました。柄谷さんが、たびたび登場するカントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」には、死者および未来の他者を含まれていることを理解し、自分としても「自由の相互性」に心がけていきたいと思います。108ページの「主権も市場も一国ではない」という観点は重要ですね。(つづく)