私は「人の話を聞かない」という周囲の勝手な評価がつきまとい、不愉快な思いを幾度も体験してきました。若い頃には、それが極端に表出し、周囲との軋轢を生み孤立を深めていました。
さらに、「非常識で、お話にならない」という視線を感じる機会も多々あり、もはや慣れっ子にさえなっていたようです。要するに、頑固で協調性に欠けるわけですが、反面、とても孤独で、一人になると淋しさはひとしおでした。
そんな時代を過ごしてきた私ですが、ずっと以前に「孤独にめっちゃ強い人ですね」と言われたことがあります。最近になって思い出し、ずっと引っかかっていたのですが、そっかと合点したのは「孤独って、自分のように若くて体力のあるうちに、身から出た錆の体験をしておくと、中年以降から老後の過程で必ず生じる『淋しさ』にも楽に対処できる」ということでした。
だから、定年退職後がこんなにも面白く過ごせているのかも知れませんね。人生、無駄な時間なんかない。そこには、計画的偶発性に満ちている日々があるだけだ。
さらに、「非常識で、お話にならない」という視線を感じる機会も多々あり、もはや慣れっ子にさえなっていたようです。要するに、頑固で協調性に欠けるわけですが、反面、とても孤独で、一人になると淋しさはひとしおでした。
そんな時代を過ごしてきた私ですが、ずっと以前に「孤独にめっちゃ強い人ですね」と言われたことがあります。最近になって思い出し、ずっと引っかかっていたのですが、そっかと合点したのは「孤独って、自分のように若くて体力のあるうちに、身から出た錆の体験をしておくと、中年以降から老後の過程で必ず生じる『淋しさ』にも楽に対処できる」ということでした。
だから、定年退職後がこんなにも面白く過ごせているのかも知れませんね。人生、無駄な時間なんかない。そこには、計画的偶発性に満ちている日々があるだけだ。