観察洞察と言いながら
何処を見ているかということだ
外表を
幾ら虱潰しに探索しても
メビウス透過像に似て非なる
表層転写の展開図で
自己満足するしかない
対症療法的対応では
表層展開図の先のメビウスが
繋がらないのだ
したがって
本源のサポート杜絶のままに
既成概念波想像で無理矢理
表装することになる
大クラインの
意識層複合世界を
観察洞察するには
観察者の本質構帯のメビウスを
繋げないと
真実層は観えない
だから
「己の内なる光を観よ」
「今を生きよ」
そのように本源からの
サポートは降りるのだ