洗心 senshin

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不可能ではない。

2015-09-25 22:01:00 | ノンジャンル

波長の相違とは

如何ともし難いものである。


言葉の表層(記憶上の意味)に

捉われてその意味世界の

探求が真理の探究であると

錯誤している。



言葉を組み立て操る

念波&霊波ともいうべき周波数次元が

吾々の意識層活動世界を

効果せしめているのであるが


なかなかに

そのような立体客観は困難であるらしい。


物質表層次元の意味研究だけで

存在意義の確証が得られるならば

とっくにこの世は優良星界の輝きに

満たされていただろう。


喩えるならば

氷山の一角をどれほど

記憶意味において論証し得たとしても

それは七(次元)分の一に過ぎないのだ。


見えない全容をリアルに悟るには

水(彼岸)に潜りその眼(霊眼)で

確かめる他はない。


それは決して不可能ではない。

『洗心』という酸素ボンベを機能させ

霊波&念波の海に潜り

実際の波長構成を

その個々の意識の眼で観ることである。


それには審神センスが不可欠である。

それもまた『洗心』の極めにより

本源情報波を通して戴けるものである。