所用で外出したが『蝶』は相変わらず軽やかに天然の舞いを魅せてくれる。
一時期は矢のように翔び緊迫感も帯びていたが
このところの飛翔は限りなく優しい量子愛に満ちている。
車を降りてもどこからか飛来して何か伝えることがあるのか
至近距離でホバリングし『……だよ。』と言い残して去って行く。
『……』の部分は言葉ではなく自然量子の濃厚なスパークだと感じる。
言葉への翻訳は無理にしても今は当てはまる事象はない。
銘々の自然クライン環の保持と更新だけは全集中を継続したい。
所用で外出したが『蝶』は相変わらず軽やかに天然の舞いを魅せてくれる。
一時期は矢のように翔び緊迫感も帯びていたが
このところの飛翔は限りなく優しい量子愛に満ちている。
車を降りてもどこからか飛来して何か伝えることがあるのか
至近距離でホバリングし『……だよ。』と言い残して去って行く。
『……』の部分は言葉ではなく自然量子の濃厚なスパークだと感じる。
言葉への翻訳は無理にしても今は当てはまる事象はない。
銘々の自然クライン環の保持と更新だけは全集中を継続したい。
最近の『蝶』の動きのパターンが少し変わった。
以前は車の直前を一直線に横切るパターンが圧倒的に多かったが
最近はふわりと正面に現れて暫しホバリングして上方へ翔んでいくことが多い。
蝶たち(自然量子ネットワーク)は何を伝えようとしているのか?
その舞いの飛跡の圧倒的な愛溢れる訴求感からして
『もう心配いらないよ。来るよ!来る。上を見よ!』
そんなメッセージだろうか?
今までにも増して自然量子ネットワークに心魂を澄ませ
現実創造に向けて心のボルテージを高めていきたい。
… … … … …
確かに 一時期のように悲壮な翔び方はほぼ無くなった。
存在そのものが創造原初の光に包まれている。
彼ら『蝶』は未来の希望の象徴である。
感情~喜怒哀楽。
「人間」も『人』も五感肉体を保有する以上 感情豊かに生活するのは自然であり
寧ろ当然のことだろう。
ただし 『人』に間がありその隙間に「魔」を取り入れて感情を振り回すなら迷惑
至極でしかない。忽ち肉体は悪魔の傀儡となりいとも簡単に地獄絵図を蔓延させて
しまうからである。
やはり 『人』たるもの創造根源の自然神の御裾に於いて 感情も自在闊達に駆使
したいものである。その際 感情否定の教条は超越し 眞の自然神の意念と一体に
なり発動することが基本中の基本となろう。
自然神の意念発動は 時として大いなる正義の怒りとなり 『人』をして天地を轟
かす大号令ともなるだろう。