「地球学」として振動波区分せざるを得ないのは
過去地球のこれまでの「あらゆる分野の対応概念」が
宇宙本源の究極意図から悉く乖離しているからである。
「U8」、「アナログ電気機器」、「洗心」などなどで
明らかにされるその根底の「波長群」(振動波種類)は
「地球学」概念波を遥かに超えたところの
地球そのものを原初から創造しここまで護り育んだ
「エーテル=究極の「i」(愛)」の反映なのである。
それゆえに
「地球学」の平面知傷痕(記憶)に過ぎない既成概念で
思惟思考&生活動作している人間には皆目判らない別世界
であるともいえる。
しかし、その「i」の世界こそがどんな人間をも例外なく
護り育んでいるのであるから皮肉と言えば皮肉である。
過去からの「地球学波長」範疇での価値論争は
須(すべか)らく「i」不在による不毛の争議である。
心身の共振波を宇宙に拡大すれば
なんなく個々各自の「i」に到達できるのに
「記憶傷痕」を武器に口角泡を飛ばすのは徒労である。
天に唾するなど「もってのほか」であろう。
「i」の神々は哀れに思し召しになっていることであろう。