個々の思想すること行動など、自分のこと以外は
たとえ家族であっても親兄弟・配偶者・子供ですら全く知り得るものではない。
どんなに仲の良い友でも無理だろうし、双子の片割れでも100%なんてありえない。
父が仕事に家を出て勤務についてその後、帰宅するまでの行動や考え方など
知る由もなかったし十数年前に母を亡くすまで考えたこともなかった。
子供を持って成長するにつれて親としての思いが複雑に入り乱れ、比較的素直に
特に問題を起こすでもなく普通に育ってくれたものの、やはり親としての思いもあった。
学力なんてものは自分の能力を考えれば、子供たちに期待しすぎては負担になると
頭の中では理解していていても、やはり欲と言うものも出ないではない。
ただ、今の世の中、いつ自分の命が途絶えるかもしれないとの思いがあって、
それは大きな病を持っているとかではなく、平素の車の運転でこちらが原因でなくとも
不慮の事故に巻き込まれたり、先の阪神淡路や去年の東日本のように大震災に
見舞われたり、心を病んだ人にいきなり刺されたりも無いとは言い切れない世の中だ。
親が居なくなったとしても、とにかく自分で生き抜いて行ける人間にだけは育てたいと
いつもいつも考えながら厳しいことも言ってきた。
「こんな嫌味で厳しい親父に育てられて難儀だったろう?」と聞くと、
「社会に出たら親父みたいな人間が一杯居たよ」と免疫に救われたという。
母親との交流は時間だけを考えても父親との比ではないし、意思の疎通も多くて当然。
ヤツ等も高校・大学と進んでいた頃にゃ、親の知らないいろんなことを経験して来たろう。
特に長男なんてまともに授業に出ていたとは思えない。
それは親父譲りかもなぁ? なんて深くは詮索しなかった。
親父としても家庭に影響しない程度に外れ無いように気を配りながらも
君たちもお母さんも知らない世界をドンドン歩いて来た。
親であり家庭であり社会でありの一員としての枠を出ないようにしながらも
自分の可能性の限りいろんなところに首を突っ込んだりして、楽しくもあったり
チッ! 失敗したと思ったり。 (^_^;)
子供たちが父親となってしばらくしたら・・・同じようなことを思うのかも知れない。
東野圭吾氏の『麒麟の翼』を観て。